多頭飼育崩壊(たとうしいくほうかい)・アニマルホーディング(Animal Hoarding)は、ペットの動物を多数飼育した飼い主が、無秩序な飼い方による異常繁殖の末、飼育不可能となる現象。




私には忘れられない記事

多頭飼育崩壊は、生と死が入り混じる壮絶な現場です。避妊去勢と多頭飼育
これは切り離して考えることは出来ない問題となること。

不幸な動物を生む飼い主が増え、被害をうける動物が増え、今や保護活動や里親や譲渡が進む裏でも心配の1つである「多頭飼育」でもあると考えているんです。

動物愛護団体の崩壊なんて起きてはならないこと。これを強く思うようになり、その恐ろしさから原因となる問題を知り、それを防げるように努めたく、団体の皆さんの活動に目を向けるようになったキッカケになった忘れられない記事があります。

でも、今はその記事さえも珍しくないほどに個人の飼い主の不始末からの多頭飼育崩壊がニュースでも知られるほど増えたことから珍しくもないかもしれません。

しかし、保護する立場であるはずの保護団体が抱える動物たちの頭数、頭数以上に年齢や健康な犬や猫たちばかりではないことから、個々に必要なお世話が必要なので、保護団体の多頭飼育は個人とは比べようもないものがあります。

例えば、、、そうですね、こちらは少し前のものになりますので、ご存知の方々がおられるかもしれませんが、内部の勇気ある告発により現状が私たちにも見えたものなのですが、ピースワンコのことを考える日々の中で、こちらを貼らせていただきます。

私たちの目に見えてるものなど、ほんの僅かな動物愛護の尊さと美しさにすぎないのかもしれないです。

そう、どこにでも明暗はあるのかもしれませんね。




①猫の保護団体で多頭飼育崩壊

これは今年2018年6月8日に元ボランティア「治療も受けられず、死んでいく」涙の告発というもの。

猫の保護活動をおこなっている施設(シェルター)が、あろうことか実質的に「多頭飼育崩壊」にあり(5月末までに猫170匹以上)、一部をのぞいて病気の猫たちがまともな治療を受けられず、その改善をもとめたボランティアのスタッフが「出禁」になり、猫たちの行く末を心配する元ボランティアの女性たちが、涙ながらに保護活動の闇を実名で告発したもの。ピースワンコに似ているのは、施設側の代表者は否定していたそうです。

ボランティアたちの中には、眠っているときに、猫の遺体の夢を見るなど、精神的にまいっている人も少なくないそうだ。シェルターに行くことが怖くなったり、心療内科に通ったり、ふだんの仕事にも支障が出ている人もいると書かれていたが、ピースワンコの今回のPTSDの獣医師などの告発も異例でも特例でもなく当然なのだと改めて思いました。それだけ、それだけ、異常で壮絶なのでしょう。

愛情と熱意あっての活動が、内部にいると実際とのギャップに苦しむなんて・・いったい何が保護なのか分からない。


殺処分ゼロ思想・・

告発者の1人の元ボランティアの方が代表と知り合い「殺処分ゼロ」を目指すという考え方に共感し、団体名称になる前から手伝いはじめた。3カ所に分かれていたシェルターは2017年夏、現在の場所に合流したあとも、捕獲したり、引き取るなどしたことで、猫の数が爆発的に増えていったという。

シェルター内は、ボランティアが掃除しているため、糞尿の垂れ流しは免れても、問題は、代表が上限を決めず、無計画に猫をシェルターに入れてしまうことにある。

当然、一番大切なはずの一匹一匹のケアがまともにできるわけもなく、自分たちでは世話しきれない異常な数を飼ってしまうという「多頭飼育崩壊」の状態になった。



②深谷市多頭飼育崩壊の真実

知らずに加担した人。さらに加担した人たちは、どんなに劣悪下に猫たちがいるのかを知っていて、猫をきちんと助ける人たちがいることも知っていて、生き地獄の存続を支援した、それが「深谷市多頭飼育崩壊の真実」です。

糞尿だらけの不衛生極まりない、窓もなく暑さも凌げない、こんなところに70匹も閉じ込めていた。猫たちが健康でいられるほうが不思議。強制退去代執行の時、この男に加担する人がいなければ救えた子たちの屍。(投稿より一部を抜粋させていただきました。下のリンク先の投稿の最後に不幸な末に逃れることが出来なかった命があります、閲覧される際には気をつけて下さい。)



動物がいるから汚い臭い?

我が家に来られる方々が、昔から玄関に入ると犬たちは?と言う。吠えないんだね!と驚かれます。動物が得意でない方もいるし、犬たちも好みも気分もあり、同じです。

子ども部屋のように彼らにも部屋はあるので、来客の際には犬たちにも人間にもストレスとならない無理のないところで判断して、彼らには自分たちの部屋でいつものように過ごしてもらいます。

室内に入るとニオイがしないね!と言われます。潔癖だからと笑って答えます。が、何をしたわけでなくても家は汚れていくものです。我が家は日に2度は掃除をしますが、特に朝の床拭きは丁寧にします。私たちも犬たちも気持ちよく過ごしたいから。

動物がいると臭いとか汚いなんて、これは間違いです。動物が沢山いるから汚くなるのではなく、掃除をしなけりゃ汚くなります。動物を清潔に保ってあげなければ、汚れも重なりニオイも酷くなるだけ、当たり前の事です。

私たちもお風呂に入らなければ汚れて臭くなります。犬や猫は掃除を出来ませんし、汚れてもカラダを洗うことも出来ません。

そもそも犬や猫と暮らすに当たり、清潔な環境と管理は必要な条件です。ゴミを溜め込む人やお掃除の出来ない人は、清潔好きな動物のお世話なんて出来ません。





善意と支援という加担・・・

自分と同じように動物も生活し、その動物のためにと愛情があれば、必要とする世話ができているならば、少なくとも動物には問題がないはず。

だけど、必ずといって多頭飼育崩壊は不衛生でネグレクトな状況になっている。そして管理さえも適切になされずに繁殖し健康は奪われ最悪な場合は死んでいる。

彼の支援者の一人は、この事実をずっと前から知りながら「支援要請のために嘘をつくこともあるが、支援を妨害するな」と言ってきた。とある。さらに支援が集まらないから、削除しろとまで言ってきたと投稿にある。(深谷市多頭飼育崩壊の真実より)

私も以前に経験があります。支援者からブログを削除しろと言われたことがあります。もっと酷い場合、その団体から批判者、反対者、邪魔な存在扱いをされて、投稿した質問のコメントは無視され続け、ブロックされ、コメントは削除されました。

このようなことを経験してる方は多くなくとも、私が知るだけでも少なくないと思っています。


下の記事はブロックされた時のもの。今は投稿先にはありません。削除理由の説明や多くのコメントが消えてしまったお詫びもなく、何もなかったように新たに同じ内容を投稿し直しされたそうです。それ以前に書いたコメントをないそうです。


下のコメントは、この方も犬の様子などを気にかけてられてコメントされてると聞いてFacebookの方を見させていただきました。


しばらく無視されたままでした。先ほど見たらコメントは削除されていました。ブロックされてしまったのかもしれないですね。当然のことなのに真実を語れない都合が悪いことでもあるのでしょうか?


先日も友達と話していましたが、こうしたところには特徴があり、団体も支援者の行動にも決まって不思議と似たところがある、そう思うようになりました。



犬のためと言っていながら、支援者の支援がないせいだ、殺処分ゼロを楯に寄付が必要だと脅す。

どこに愛情があるんだ。
どこに感謝があるんだ。


これはテレビでも放映された北口氏の言葉、「猫の世話を24時間する人が必要、だから働けない。お前たちがやらないから、俺がやってやるんだ。だから、やらない奴が(生活費全てを含む)金を出すのは当たり前」とFacebook投稿にありますが、馬鹿なくらい素直な人なんですね。最低ですが、正直なクズでしょうね。





◯◯のせい

誰が保護し所有する犬や猫なのか。
もとは捨てた飼い主のせい
支援しない人のせい
寄付が集まらないのは批判のせい
誰かのせいにする、他人の財布をあてにする。支援、寄付と騒いでいる人たちに動物は幸せにできない。殺処分ゼロと騒ぎ立ててる支援者たちには動物は救えない。

救いたくてやっている活動なのか、救ってやってる気になってる活動なのか。なんのため、誰のためなのか。

仕事もしないで、動物を道具に集めた支援金で暮らす、他人のお金で多頭飼育してるのと変わりない。

それを動物愛護、愛護活動と言うもんなら叩いてやりたいくらいの怒りも感じる。

保護なんて出来なくてもいい。私が思う一番の愛護は、頭数なんて関係ない、その動物を大切に最期まで向き合って生きることができる、幸せに飼われている素晴らしい飼い主さんです。


保護団体に何か問題が起きると知らなかった、騙された、などと批判される方々もおられるけれど、気持ちは分かりますが、やはり支援者の皆さんも物資や寄付を送ったら終わりではなく、支援の責任をもち、きちんと足を運んで保護動物の様子、施設の様子、物資の管理などを確認することをされるのが、良い支援者なのだと思います。
最近もSNSの投稿で支援された物資の扱いについて言い合いされるような嫌なものがありました。





見極める目がほしい・・

先日こんな気持ちを投稿されてる某団体の支援者のかたの気持ちを読み知りました。なんとも切なくなりました。

個人であれ、団体であれ、多くの動物を抱え育成することには、豊かさや喜びや発見と同じように、義務も責任も増え難しさもあります。

無責任な飼い主の責任を背負わされる動物の不幸に悼み悲しみ怒りさえ感じる、あまりに理不尽だと「殺処分を反対」されるひとたちに向けて、「殺処分ゼロ」を掲げる団体があります。

そのなかにみられる特徴傾向のひとつとして、犬や猫たちを哀れで可哀想な存在だと言う、誰かも分からない飼い主だった人間、人間は酷いやつだと言い憎しみを煽る。

そして、生きる権利がある、もっと生きたい、生かしたい、自分たちは犬や猫たちを救える神のような存在のように殺処分から救い助けると声をあげる。それには、支援や寄付が必要だと言う。

そして、大型収容施設の拡大「シェルター」建設を求める。それに伴うクラファンを見かけるたびに危惧し、思いもしない善意が加担することになる不幸が現実のものとなるのではないかと恐れます。

殺処分に反対する気持ちを抱いた人たちからすれば、罪のない命を助けてくれる救いの手であるように見えるでしょう。

けれど、よく考えてください。
彼らは可哀想な存在ではない。
可哀想では得られないものを与えることができる人にならなければならないと思います。

愛することができる喜びです。
愛される喜びを伝える喜びです。
愛される存在と愛するための譲渡。
悲惨さより、憎しみより、愛することの素晴らしさ、愛する存在のあることの幸せのが一番の動物愛護だと思っています。




真の動物愛護とは・・

暑い日、寒い日、どこにも逃れることが出来ず閉じ込められる、求める事も与えられるのを待つしかない。気づいて欲しくても気づいてもらえなきゃ我慢するしかない。

ピースワンコの件でも先日もブログに書いたけれど、山口県の野犬の件でも、2000pjの件でも、まさに同じことが言える「ここ」なのです。

案じる言葉を聞いたことがない。

保護犬、保護されてる動物たちの様子や成長を気にかける人たちがいない、いや、思う以上に少ないと思った。

引き出された時には、ありがとうございます!よかった!幸せになって!と歓喜の声と感謝の声が並ぶだけ。

呪いの呪文のように「殺処分ゼロ」ばかり。殺処分さえされなかったら良いのか!殺処分されなかったら何だというんだ!

殺処分ゼロなんて「結果」にすぎないことだってのも理解もできないのか。何を求めているんだ。何が大切なのか、全くずれてるよ!
  • 生きる質は問わない?
  • 生かされる質は問わない?
  • ただ生きてさえすればいいの?
それはネグレクトと同じじゃない。
散歩の楽しみも知らない、人と遊ぶ楽しみも知らない、繋がれっぱなし、閉じ込められてる不自由な犬と何が違うのでしょうか。

保護されても、ケアもトレーニングも与えられずに家庭犬となれないまま、ただ閉じ込められてる犬たちを「救われた」と言える神経は私には理解できません。




なぜ殺処分ゼロにならないのか

その結果を出せるのは?
飼い主の問題でしょう。地道な啓発なくして結果ばかり求めていても、中身はスカスカ、実現するわけがない。

何かといえば言う。
もともと捨てる飼い主が悪いと。そうですよ、なのに、皆さん中身は「殺処分ゼロ」としか唱えない!それでは結果などついてくるはずがない。

何を努力してますか?
問題が理解できているのに、結果しか見ていない。これだから終わりなどないのです。

数字の上での結果は、どこかに皺寄せがいってるだけのこと。どこかに皺寄せを引き受けてくれてるだけ。それはそれで新たな問題であることも気づいてほしいんです。

殺処分ゼロにできてる地域の行政、愛護センターの取り組みを知ってみて下さい。必ず見えてくるはずです。


殺処分ゼロ、これは誰もが望まなければいけないし目標とするところです。飼い主となる人間が、これを意識し一番大切にできるように努めていかなければならないことなんです。

それでも今は、地道な啓発とともに理不尽な皺寄せとなる命を何とかしようと出来る限りで保護ボランティア、保護団体の皆さんが担ってくれています。

それを良いことに、引き受け先があるからとか受け皿があると勘違いする図々しい飼い主や人まで残念ながら増えてきてる傾向もあります。

引き取ってくれと連絡するひと、無言でボランティアさんの家や保護施設の前に捨てていく人もいます。

本当に悔しいと思います。
一部であれ、こんな人たちのためにしてるんじゃないと腹が立って仕方がないと思います。

本当に悔しいと思います。
一部であれ、動物を利用する人間が保護活動に紛れていること。

営利目的でなく日々動物救護の活動をされている保護団体(任意団体や個人含む)の皆様の誠意、誠実さ、愛情の広さと深さ、努力には頭が上がりません。

いつも悔しくとも悲しんでも、腹を立てることさえ惜しみながら動物たちのお世話に尽くして地道にコツコツと活動されてる皆様に私は敬意を持って応援しています。

里親になることは今の私にはできないけれど、せめて私の出来ることをしよう、皺寄せのない地域にしよう、模範的な飼い主となれるようにしよう、自分の地域の飼い主の意識の向上につながる啓発にお手伝いに努力しています。




保護団体に「規制」が必要

飼い主も「免許制」にといった声があるのを目にしたこともある人も、そう感じたり考えたりしてる人もいると思います。

飼い主については、虐待や遺棄が犯罪であっても犯罪に問われることは実際には少なく逃れることができてしまうことからも、飼い主というそのものの意識や質を高めるために何かしら新たに法での規制や細かなルールが必要なのだと思います。

同時に、こうした飼い主による不幸にも捨てられたり、災害により離れ離れとなった飼い主が現れない被災ペットなどの動物の存在を世に知らせるためのメディア、その動物たちの里親となる著名人の方々も増え、ペットはショップで買うのではなく、里親という選択、譲渡を受けるということが徐々に周知されるようになり、今や「保護ブーム」とさえ言われるほどになってきていることから、こうなると保護活動にも正しい活動(適正飼育・適正譲渡・頭数制限)のための監査と規制は必要となるはずです。

最近では、茨城県のimapの保護動物の虐待事件の件でバイキングの番組内でも登録制度について言われていたけれど、命を預かる立場、命を育み重んじる活動には、二種を届出制から登録制にすることは当然の「必要」とする現状になっているのだと思う。

私たちは「動物の立場からすれば、一種(営利)も二種(非営利)も一緒なんだということ」を考えなきゃいけないと思います。

非営利で始めても寄付や賞賛を受けて途中で志が変わってしまう、そんな人もいると思います。どこまでいっても人間の都合ではなく「彼らのために」と考えることを。




届け出から登録制への規制

このような活動をする団体は本来、都道府県知事に「第二種動物取扱業」を届け出なければならない。
最初に書いた猫の保護団体の場合、シェルターが「無届け」状態であったように、無届けで活動をしているならば違法にあたる可能性がある。
個人であれ、団体であれ、頭数制限や多頭飼育の場合の避妊去勢についても条例で規制も必要となってきてるのだと思います。




動物愛護法違反になる可能性

猫の多頭飼育崩壊の場合も何処の場合にも言えることだけど、私たち個人でできること踏み込める範囲も限られることから、団体の活動に不透明な状況が考えられる場合、地域の動物愛護相談センターや保健所や警察にも私たちの通報や相談をしてみることが良さそうですね。

今回のようなケースについて、動物愛護法に詳しい細川敦史弁護士は「法律違反にあたる可能性がある」と指摘する。

「動物愛護法では、猫など、愛護動物の虐待を禁止しています。病気の猫に適切な治療を受けさせなかったり、糞尿が堆積した施設など不適切な環境で飼養することは、法律で定める《虐待》にあたると考えられます。もし該当するようであれば、100万円以下の罰金となります」(細川弁護士)弁護士ドットコム / 猫の保護団体で多頭飼育崩壊より



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