【2024年の開運☆魂の運気が爆上がりする神社参拝の秘密】
本日のトピック!!『神社参拝』の意味と行い方あけましておめでとうございます本年もよろしくお願いします最初に少しだけ、新年の挨拶としてぼくの抱負を書いておきますね今年2024年はたくさんの人の人生の流れを変えるために尽力していきます色々な個人メディアを使って様々な形で繋がり・インスパイアしていきますのでぜひ、みなさんも一緒に飛躍してくださいねそんな「本当に素晴らしい1年間で " ある " 」ためにまずは新年1発目に『古神道の秘密』をお伝えします神様と"共にある日々"幸せを運ぶ「幸運」神社参拝とは、神様に挨拶をしにいくことですこの伝統は古くからあり、この国に根づき、文化・精神となって『古神道(神道)』となり今の僕たちにまで引き継がれています古神道とは、神様と「共に」日々を歩むために日本人が大切にしてきた考え・精神になりますだからこそ、神様に応援してもらえます。つまり、魂の道筋を照らしていただき本来性=魂の人生ストーリーと本質的な=魂の豊かさで生きることそれにより、何よりも自分らしい人生を体験するために神様と共に " あること "そういった日本人が古くから大切にしてきた叡智(知恵)の集大成になります余談になりますが、お正月で使う両端どっちでも食べれるお箸も実は「神人共食」(しんじんきょうしょく)といって神様と共に自分も頂いているという意味で作られています。ただし、ぼくもそうなんですが100%この考え方だけで生きているかというと決してそうではありません...「パラダイムは採用するもの」以前の記事でも書きましたが自分にとって良いと思ったものは取り入れて違うかなぁと思うものは頑(かたく)なには取り入れません。。。なので、別に神様を信じているという人でも、神様を信じていない人でも正直どっちでもいいんですねただ信じた方がより深く意味を理解していくのでぼくは信じていますが、でも決して世間一般でいう『神頼み』みたいな信じ方ではありません「神様と共にある日々」というのはいついかなる時でも「神様と一緒に過ごしている」という意味ですそれは常に神様が見ているよということですね。ただし、「そんな窮屈なこと...」と思う方もいますよね!??ぼくもそうです極端になって、・あれやったらダメ・これやったら良いだって神様が見ているんだもん。本当はそうかもしれないけどでも、それを本当に良いと思っていないのに、それを本当に大事にしていないのに、やっていても意味はありませんよねむしろストレスになるだけなので、あくまでも「パラダイムを採用してみる」ぐらいで始めてみてください。ココがポイント☆パラダイムを採用すると頭の中にそのパラダイムが入るので、何かの拍子に思い出したり、気がついて選択を変えてみたり、出来事に対する反応をとるときに結びついて意思を持って選んでみたりできます。そうやって選択肢が増えていくことそのためにパラダイム(考え方)はあるので「神様と一緒に過ごしている」この考え方も1つの要素=エッセンスとして自分の中に持っておくといいと思います パラダイムが自分を変えるので パラダイムはたくさん持ってた方がいいし パラダイムは採用するものなので、 簡単に取り入れたり 捨て去ることもできます。ちょっと脳科学のお話にもなってしまいますのでこの辺にしておきます何のために参拝するのか?さて神社参拝に話を戻して新年早々になぜ日本人は神社=神様に参拝するのでしょうか?その答えは、『報告』です。今年も新しい1年を迎えれたことに対する「感謝」そして、1年間をどう過ごすのか?その「抱負=目標を伝える」それらを神様に【報告】するためです。古来より日本人と神様は" 近い関係 " であったため神社に日々何をしにいっていたのかというとそれは【報告】です。*3回繰り返したので もう覚えてもらえたと思いますなので、決して個人的な望みばかりを伝えて「叶えてください」とは言いません。「今、こういう問題が起きています」(報告)「そのことに対して、こういう風にしようと思います」(報告 or 相談)「どうなるかは神様にすべてお任せしますが 見守っていてください」(全托=結果はすべて託します)このように、神様にすべて丸投げして神様勝手にやっておいてねというスタイルではなくて、自分でこうこうします!でも、結果はすべて神様にお任せしますそれが神社参拝の意味になります。「ご利益を受けよう」「幸せにしてもらおう」「いいこと起こるように願おう」もちろん、願ってもいいんですが、でもその「結果=現実」は望みがその通り直通で返ってくるかどうかは人それぞれになります。日々、誠心誠意やっている人はすぐに直接的な結果=現実を体験する人もいれば、まったく逆の結果=現実を体験する人もいます。でも、それはすべて神様が良かれと思って与えてくれます。魂が磨かれるためにもう少し乗り越えるべき課題を出してくれたり、そっちの道じゃないよって執着を手放すためにうまくいかないことで気づかせてくれたり、でも必ず魂の道に進むために、本質的な喜び・豊かさを得るために、現実を用意してくれます「一番深いところにある願いや想い」それらは頭の思考ではなくて見えにくい潜在しているもの、さらにはもっと深い領域の無意識の世界のもの。そういった魂の願いや喜びを思い出し『本当の生きる喜び』それを体験する人生にするために個人に与えられた才能を伸ばしたり、個性という性質を華開いたり、そうやって真の自分と出会うために常に神様はその次元(5次元以降)で自分と繋がってくれていますそうやって魂の記憶(=輝き)を思い出し命の輝きを取り戻すためにいつもあなたを応援して道を照らしてくれています。開運する参拝「基本編」神社は今やパワースポットになりかなり多くの人が集まる場所になりました。そこでは、・彼女ください!・有名になりますように!・幸せにしてください!・認められたい!そういう『欲望』系の人も多くて実は " お賽銭箱 " にはそういった念を込めてお金(=エネルギー)を入れる人も多くなったので本当はですよ、本当は、あまりお賽銭箱には近づかない方がいいですあくまでも個人でできる範囲でいいですけどね。必ずお参りをするところの近くにお賽銭を渡す場所があるので封筒に、お札なら新札を入れて渡して、お宮の上空に光の柱が降りていると(神様が降りていると)『見立てて』そこに意識を合わせて参拝してみてください。参拝するときは・二礼ニ拍手をして、・天津祝詞(あまつのりと)を唱えて(覚えていない場合はスルーでOKです)・その後に自己紹介をして(私は、〜〜に住む、〜〜と申します)そして、「神様の御用にお仕えさせて頂き ありがとうございます」という感謝の気持ちを伝えて、・自分の日常の『報告』をして、・自分と関わる多くの人の幸せを 祈ります。(イメージをどんどん広げるといいですね)その後に、個人的なお願いをしてもらっても構いませんそして最後に、「惟神霊倍幸坐世」かむながら たまち はえませ古神道の言霊で「あとはすべて神様に任せます」という意味の言葉で終わります。この言葉には、人の念は含まれないので祈りの言葉(エネルギー)になりますですので『かむながら たまち はえませ』だけは最後に唱えてみてください。今後の開運を " 続ける "魂の幸福を育てる神社参拝の目的は【報告】でしたね。つまり、神社参拝とは行く日だけでなく 行くと決めた日から参拝の日までを どう過ごすか?が大事になってきます。このことは今後の人生においてとても大事なことになりますそれまでの間、清く正しい毎日を過ごしてそして、参拝に行く。このルーティーン(習慣)を「雛形」にしてしまうと魂は自然と成長していきます「神様に報告するのだから」という意識が片隅に " ある " とどこかでズレを正せたり、欲望に流されることにブレーキがかかったり、本当に生きたいと思う人生のど真ん中に戻れたり、しやすくなります。そのためのツールとして神社参拝を習慣にする。*もちろん、実際に行った方がいいですけど、 でも心の中にこの思考の社(やしろ)を 持っておくだけでも全然違います! 開運の秘密は日常にあります。日常をどんな姿勢で生きているのか?そこを常に神様=自分は見ているから幸福や恵み・感謝を受け取っていきますたった1回、個人的なお願い事をしに神社にいっても開運はできませんでも日頃から神様という存在を近くに感じ自分の姿勢を正しながら生きていき、そのことを報告する習慣を始めるとおのずと運は開いていきますそれが月に1回3ヶ月に1回半年に1回であっても、常にマインドの中にその意思があれば自分=神さまはちゃんと願いを叶えてくれますどんな人にとっても大きく価値観を変容させる2024年ぜひ最高のスタートを切って最高の1年間にしましょう---------------------------------------人生のステージを一気に上げる半年間講座「産霊(ムスヒ)」あなたと魂を結び、生きる次元を変えてしまいます。詳細、お申し込みはこちらから。Home | Takao Nishino産 霊. MU SU HIbit.ly---------------------------------------また、魂のお話やエネルギーの話などメールマガジンでしか伝えていないこともあります。Life(人生)をTravel(旅する)『Life Traveler通信』無料のメールマガジンを発行しています。 ↓ ↓ 無料登録はこちらから ↓ ↓Life Traveler通信登録フォームnishinotakao.net---------------------------------------本日も最後まで読んでいただき本当にありがとうございます西野たかお/nishino takao