(このブログの結論であり始まりでもある、のかも。スピリチュアル回です。)
こんばんは!生チョコぽん酢です。
いつもコメント頂きありがとうございます。
とても参考になるので、これからもぜひ書いてくださいね。
以前の記事(コロナとワクチンと社会構造)について、案の定あまり納得がいかない方や、意図が理解できない方もいらっしゃったのではないでしょうか。
PEGフリー商品記事のコメントを読んでいて思うのでした。
今日は「多分回答になるかな?」という概念について、記事にしようと思います。
そして最近の傾向でもある、耳障りな記事かもしれません。
また、この意識体から伝わってくる大きな概念を文章にして伝えるのは本当に難しく(私の文章力の問題)、更には1つの記事にキレイにまとめられる類のものではありませんので、乱文になりますがこれが私の限界です。
少しずつでも真意を伝えていければと思っています。
では始めます。
私達は、何も知りません
私は知りませんし、読者様も知りません、有名人も知りませんし、医師も知りません、誰一人知らないのです。
私は昔、介護業界に来る前に。
些細な成功のせいで傲慢になり、全てを知った気になっていました。
でも自分の中の常識的・確定的正解が何度も覆されて気付かされました。
知った気になった段階で現実からは遠ざかる
皮肉なものですがこれも本質です。
それは皆様も同じはずですね。
そもそもそうでないのなら、ここに集まっている人の多くが、今頃投資で巨万の富を築いているか、預言者として名を馳せていることでしょう。
でもそうはなりません。
なぜなら予測なんて当たらないからです。
未来がどうなるか?
予測が出来ても結果は分かりません。
事象に対する害について?
予測が出来ても結果は分かりません。
今はまだ、不確定な事に対して答えを導き出そうとしている段階なのです。
そして将来、確定的な答えが導き出せたところで、タバコと同じような轍を踏むことになります。
今
「タバコには言われているほどの害はありません」
「いいや!害がある!既に根拠が出そろっている」
60年前
「タバコには害が有ります」
「いいや!害はない!既に根拠が出そろっている」
化学的な根拠、科学論文、査読未査読。
コロナ禍に入ってから急に聞くようになった単語であり、福島第一原発を彷彿させられるものです。
原発事故もまた、情報の津波でした。
人が住めなくなる、人が住めなくならない
放射能で汚染されている、汚染されていない
直ちに影響がないけど後々影響がある、後々影響がない
結局、100%確実な1つの正解など、今になっても存在していません。
100人に聞いたら何通りもの答えが出てくるでしょう。
先の対戦だって同じです。
「我こそは真実の歴史を知っている」という人は存在せず、その時代を生きた戦争世代ですら同様です。
そこにあるのは経験のみであり、幾千にも重なるそれぞれの事実があるとしか言いようがない。
世界というのは常にカオスな状態であり、それは宇宙とされるものの概念であり、生命の体内の概念そのものです。
しかしそのカオスの中にも一定の秩序(ルール・法則)が存在しています。
例えば万物はフラクタル構造であり、表裏一体であるということです。
このような絶対的な秩序(ルール・法則)が覆ることはありません。
これこそが神様が作った確実で唯一無二の真実なのです。
これは説明するよりも全体像を漠然と捉える方が理解しやすいでしょう。
宗教とは何か?それは特定の信仰を主体とする思想・観念ですね。
人間の歴史は宗教の歴史です。
そして宗教の歴史は殺戮と戦争の歴史です。
やれキリストが正義だ、イスラムが正義だ。
神道が正義だ、仏教が正義だ。
仏教の〇宗が正義だ、△宗が正義だ。
仏教の■宗の◇派が正義だ、■宗の▼派が正義だ。
こうして互いに殺し合い、貶し合い、辱め合い、血で血を洗いながらやっと手に入れた平和の形は、「宗教は自由だよね!」です。
この分かり切っている答えにたどり着くには、
・本当にこれほどの殺戮が必要だったのだろうか、もっと別の選択が無かったのだろうかと。
・またワクチンやマスクの宗教化がどれほど危険なのかと。
私はいつも思うのでした。
不確定な要素に対して意識の統一が行われ団結されれば宗教になります。
不確定な要素に対して統一された意識が、対極の概念が悪だという意識になれば戦争になります。
戦争は生まれながらにして対立だが、
対立は生まれながらにして戦争ではない
自由意思の結果、対立構造になってしまうことがあっても正常です。
それは単純に意識が広がったというだけなのですから。
でも対立に極端な思想が加われば戦争になる。
そして今まさに、この境目にあると見て間違いないでしょう。
真実は単純明快ではなく物語性もないから実は聞こえは良くありません。
民衆が求める真実ではないのです。
そして少しでも違った意見に拒否反応が起こること、それは危険信号ということ。
5年10年たったころに「昔の自分は何やってたんだろう、若かったな(冷静じゃなかったな)」と思うことは誰もが経験することです。
私は1人の商人(あきんど)として、右にも左にも転べる様にしておかなければいけません、これが商人の基本です。
(また私のブログの収益化については、金儲け(仕事)としてブログを運営していないのは事実です。一方で労働があることも事実であり、一人の商人として労働には最低限の対価を創造しなければいけない宿命にあります。これも商人の基本です。)
人生もゲレンデも同じで、転び方が基本なのです。
さて、「分からない」の話に戻しますね。
ワクチンには害があるでしょう。
それは誰かの受け売りではなく、私の人生(仕事)の経験則でそのように感じます。
間違いないと思います。
でも、真実は私には分かりません。
その理由は、以前の記事(今の世界に足りない考え方)でも紹介した図をもう一度見てみましょう。
これは分かりやすいように平面の左右のみに限定されていますが、実際には立体で全域に広がっています。
果たして、自分自身が今どこに立っているのか、どの視点から観測しているのか、分かる人などこの世にいるのでしょうか。
誰一人いないのです。
だからこそ、自分とは違う意見にも耳を傾けなければいけない。
だからこそ、色々な自分になって色々な角度から物事を考えなければいけない。
今回のような記事はレンズを最大限に引いた観察と考察であり、時としてレンズを近づけミクロ視点で観察と考察をする(いつものような記事)。
これは水中をイメージしてください。
水中では両手両足でバランスよく力を働かせないと水面に顔を出し続けることはできません。
どちらか片方だけに力がよれば溺れてしまいます。
でも現実世界では、そこに風潮という名の潮流があり、バランス感覚は更に至難の業です。
多くの人が情報という名の津波にさらわれて海の中を彷徨っている。
知性のある人間として求められていることは、この情報の海で上手に泳ぐことなのです。
自分に都合の良い意見しか見聞きできなくなれば、何の発展もないどころか魂の退化しか起こりません。
政党しかり、政治団体しかり、会社組織しかり、宗教しかり
当初そこにあった熱き魂は、もうそこにはないのです。
そこが政治なら腐敗がおこり、会社組織なら衰退がおこり、宗教なら金儲け主義が起こり、個人なら人間性の低下がおこる。
そして中の人の感情が強いほど争いの火種にしかなりません。
そもそも。
陰謀論でワクチンに入っているとされる物すら、ワクチンに入れる必要があるのでしょうか。
私は色々調べてきましたが、断定できるほどの確信が持てません、まだ分からないのです。
だって、そんなまどろっこしいことをせずに、食べ物・飲み物・飲み薬にこっそり入れればいい。
そう思えてしまうからです。
あらゆるものが本当かもしれないし、嘘かもしれない。
そしていつか真実が分かったとしても、実はまだ分かりません。
なぜならそこに我々の意識が存在するからです。
我々が存在する限り、永遠に終わらない思考的な連鎖なのです。
「答え」だって例外なく表裏一体であり、対局する「疑問」を引き出し観測してしまう。
だからこそ、極端になり過ぎないように、多角的に考える努力を惜しんでは駄目。
なぜなら自分の立ち位置など分からないのだから。
そして極端な思考は、対立構造内において戦争の要素にしかならないのだから。
ワクチンは害しかないと思いますよ、私個人的な意見としてはそうです。
でも宗教にどっぷりはまっている人に対して、「あなたの信仰は間違っています、今すぐやめないと身を滅ぼしますよ」が通用するか、争いにならないか。
結局は気付きを得てもらう機会を作り続けることしかないのではないかと、私は思い至ったわけです(私の場合はブログ)。
そして組織化・宗教化は絶対にしてはいけません、それもまた争いにしかならないから。
この絶妙なバランスを、いつか大勢の人に気付いて欲しいです。
さて、話しは続きます。
ワクチンの否定的な意見に極端なほど拒否反応を示す人も、ワクチンの肯定的な意見に極端なほど拒否反応を示す人も、表裏一体であり実は全く同じ存在です。
だから互いが間違っているということではなく、両方が同じく尊い存在であり、鏡に映った自分と同じ存在ということ。
鏡の自分に殴りかかっても同じ力で殴り返されるだけなのです。
個人個人に意識があるからわかりにくくなっているだけで、実は人間というのは一つだけの存在。
これは以前に一度記事にしましたね。
そしてその1つだけの存在の中にも、我々一人ひとりと同じで良い面と悪い面が存在します。
どこと繋がるかによって、この世では善悪に対極するわけですが、それすら1つきりの概念でしかありません。
万物の最後は「無」という1つに帰結するのです。
これも広く見ればフラクタル構造であり、表裏一体である、ということです。
だからこの世を生きる人間は、弱者を切り捨ててはいけない、それは弱い自分だから。
犯罪者を切り捨ててはいけない、悪い面と繋がっている自分だから。
強者を崇め奉ってはいけない、自分の傲りに繋がるから。
全ては鏡の中の出来事なのです。
でも誤解しないで欲しいのは、全てを愛せと言っているわけではありません。
自分の意識一つで世界が変わるなんて聞こえの良い事も言いません。
出来た人間である必要などありません。
自分は所詮、大きな大きな意識体から枝分かれした1つの観測体でしかありません。
人間一人ひとりの成長度合いは全く異なりますし、意識体との繋がり方も異えば、意識体の善悪のどこと繋がるかも異なる。
単純に鏡の前に映る自分をイメージしていると本質を見落とします。
この世の本質は常にカオス状態なのです。
そして唯一動かないものは常識でもなければ知識でもなく、科学的な根拠でもなければ論文でもありません。
唯一動かないものは神様が作った秩序だということ。
本質も秩序の1つなのです。
「よくわからんが、そんなこと言ったら何を信じていいかわからないだろ!」という声も聞こえてきそうですが、違いますよ。
信じるべきは自分です。
苦労はあっても、徐々に自分軸に々に切り替えられていきます。
全ての人が完全な個として成り立てば、意識体との繋がりも深くなり、調和が訪れます。
そこにはきっと多くの愛が芽生えるのだろうと思います。
どうでしょうか、1割でも伝わったのなら書いたかいがあったというもの。
では最後に質問です。
神様の秩序と照らし合わせて考えると、全会一致が嘘になることを理解頂けたところで、陰謀論にも色々と種類がありますね。
その中で、旧約聖書引用型の陰謀論で得をするのは誰でしょうか?
誰が何を引き寄せているのでしょうね?
分かると怖いですよ。
おわり
■アドバイス
この記事を1割も理解できないという方は、次のポイントを押さえてみてください。
やはり根幹的なポイントはフラクタル構造と表裏一体です。
まず第一にフラクタル構造の片鱗でも観測してみてください。
そしてあなたの身の回り全てをフラクタル構造と照らし合わせて観測してみましょう。
少しずつ意味が分かるようになると思います。
そして意味が多くの人に分かるようになると、更にもう少しぶっ飛んだお話を書ける日が来るかもしれません(介護日記だし違うか・・・)。
フラクタル構造参考動画
(まだ国民の為に活動されていたころのテレビは素晴らしい番組が多いですね)
近頃寒くなりましたが、皆様もお体ご自愛ください。
今後とも当ブログを宜しくお願いいたします。
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