「あぁ?何だと?こら。もう一度言ってみろ。ふざけてっと、ただじゃおかねえぞ」
恐ろしいだみ声が、診療所の中に響き渡る。
熊のような体格を黒いスーツに包んだその大男は、掴みかからんばかりの勢いで医者を恫喝した。
その恫喝した男こそ、ドン・コステスの息子、ドン・コステス・シチリアーノ・ジュニアだった。
ドン・コステスは、ここシチリアを2分するマフィアの一つシチリア獄真党のドンであり、その息子ドン・コステス・シチリアーノ・ジュニアもまた、この地域で何をやっても罰せられることの出来ない治外法権的人間と言えた。
医者は後ずさるように身を引きながらも、しどろもどろにこう答えた。
「ですから、その・・・・妊娠していると申し上げたのです」
シチリアーノは、医者の椅子を蹴飛ばしながら吠えた。もちろん、医者は転げ落ちた。
「ふざけんな、オレは男だぞ。妊娠すると思ってんのか。馬鹿にしてるってんなら、その目玉をナイフで抉り出して、豚の餌にしてやるぞ」
嘘ではないだろう。この男に限って、それは比喩ではないことは、島の人間は誰でも知っている。
部屋の隅まで吹き飛ばされた医者は、よろよろと起き上がりながら、モニターの前にやってきた。
「すみません、その。いいでしょうか?ジュニアさん」
「ジュニアじゃねえ!シチリアーノだ」
額に浮き出た汗をぬぐいながら、医者は説明を始めた。声が上ずっている。
「こちらが、先ほどX線カメラで撮った写真になります。見えますか?」
シチリアーノは、カメラを凝視した。
「なんだ、こりゃ」
「ですから・・・その・・・こちらが赤ん坊です。非常に申し上げにくいことですし、今の医学から、ご説明することのできない理屈に合わないことなのですが、これは間違いなく疑いようもなく、その・・・」
「これが本当に赤ん坊だという証拠でもあるってのか」
「ちょっといいですか?」
医者はシチリアーノのスーツのボタンを外し、ワイシャツのボタンの間から聴診器を当てた。ドクン、ドクンと心臓の鼓動が、補聴器と連動したモニターから聞こえてきた。
「分かりますか?そして、こちらが妊娠してない人の心臓の鼓動です」
モニター横のシンセから同じく心臓の鼓動音が聞こえてきた。
どこがどう違うのかまるで分からなかったが、恐らく素人には分からない微妙な違いがあるのだろう。それでもシチリアーノは納得できなかった。
「ちょっと失礼いたします」
医者はさらに、シチリアーノのワイシャツのボタンを外しシャツを上げると、レントゲン映像カメラをその毛むくじゃらな腹へと当てた。
モニターには、臍の緒でつながっている人間の原型、胎児が写っていた。目も口もない、丸裸の生まれたネズミのようだった。
「これが、オレの赤ん坊だって言うのか?」
「そうです」
「早く、手術しろ。すぐにこの気持ち悪いものを取り出すんだ」
「それがその・・・」
医者はモニターから目をそらし、シチリアーノに向き直った。
シチリアーノはぎょっとした。
シチリアーノの目はモニターに釘付けになった。
開いたのだ。ぱっちりと。
開くはずのない胎児の眼が。
サラだった。今の目はサラだ。間違いなく。
「サラ・・・」
ふと呟いた言葉に、医者は反応した
「サラ?」
「いや、なんでもない、なんでもないんだ。先を続けろ」
そう、あれはサラだ。先日殺した愛妾のサラだ。
あの野郎、よりにもよってオレの舎弟と関係をもっていやがった。
まあ、後でオレの勘違いだと分かったが、もう遅かった。
無実なのに殺しちまったのは悪いとは思っている。まあ、運が悪かった。
いい女だったから残念だったが、代わりはいくらでもいる。
それより早くこの気味の悪い塊を取り出さなきゃなんねえ。
まったく冗談じゃない、警察でさえ恐れているこのシチリアーノ様が懐妊だと?こんなことが漏れたりしたら、俺の威厳なんてあったもんじゃない。
「今すぐ、この塊をとりだすんだ」
「それが、その・・・シチリアーノ様のお子様は・・・」
「お子様じゃねえ!」
「はい。このいわゆる、仮に腫瘍と言っておきましょうか・・・腫瘍なんですが、現在シチリアーノ様の子宮、もとい精巣の裏に癒着しておりまして、それがその、非常に言いにくいことなんですが、シチリアーノ様そのものの器官と同化してしまっている状態ですので、取り出すのが非常に困難・・・というより絶望的なわけであります。もっとも、精巣そのものの一部を切除してもよろしいというのでしたら、この限りではありませんが、ただしその場合、今後性的行為は一切できなくなることは覚悟していただかなければなりません」
ふざけるな。女を抱けなくて、いってえ何のために生きるって言うんだ。
「てめえ、医者だったら何とかしてみせろ」
「もし、よろしければ、腕の立つ名医に診てもらってはいかがでしょうか?残念ながら私にはどうにもなりませんが、名医であれば、どうにかならないとも分かりません」
「このシチリアーノ様が自分の腹に子供を宿したってことを他の医者にも知らせるって言うのか。駄目だ。知ってる人間は少ないほうがいい。第一、その医者がこのオレを見て論文でも出そうとしたらどうなる。もうオレは表を歩けねえ。くそっ。このやぶ医者め。何とかしてみせろ。さもないとお前明日にはチーズになって魚の餌になってるぞ。あとこの話を仮に誰であろうと話したら同じように命はないと思えよ。たとえ妻でもだ」
「で、では、シチリアーノ様。こういたしましょう」
医者の肩は小刻みに震えている。
「私の友人で大変腕のいい医者がいます。この男は、腕はいいのですが、叩けば埃の出てくる男なので、表舞台には出てこれない人間です。いろいろと悪どいことに手を染めている分、口の堅いことは保証できます」
「よし、では、そいつにすぐにここに来させろ」
「それが、今すぐには連絡がつかないのです。彼は今南半球でオペ他所用がありまして、戻ってくるのが再来週の水曜日なんです。彼は極秘任務の際は携帯を持っていきませんし、連絡先も分からないので、それまではこちらから連絡の取りようもないのです」
「なんてこった。まあ仕方ない。いいな、そいつが帰って来次第、俺の手術をするように言うんだ」
「はい、わかりました。シチリアーノ様。では、個人病棟をご用意いたします。あと、私、シチリアーノ様のカウセリングもいたしますので」
「必要ねえ。第一、てめえ精神科医じゃねえじゃねえか」
「はい、私今は産婦人科医ですが、その前は精神科医でカウセリングをしておりました。精神科医は、患者と距離を置いて客観的に見なければなりません。ただ、私はどうしても患者の悩みに同調してしまうのがいけなかったんですね。私自身の精神に異常をきたすようになって、こうして転向したわけなんです」
カウセリングじゃなくても、精神科に他のポジションもあるだろうに、と思ったが、シチリアーノにはどうでもよかった。
「よし、じゃあ、豪華な特別個人病棟用意しておけよ。あと、オレの部屋には誰も入れるな。診察のときも、今日みたいに人払いをしておくんだ。もしこの秘密が漏れたとしたら、それはお前からとしか考えられん。そしたら、地の果てまで追いかけてでもお前を殺す。だが、手術が成功した場合には一生お前が遊んで暮らせるだけの金はくれてやる。いいな」
「は、はい。ありがとうございます。で、では、これで」
医者は立ち上がりかけた。
その時、医者の胸ポケットから落ちたものがあった。18金のチェーンに小さな深紅の宝石。女性もののペンダントだった。
シチリアーノはそれを凝視した。
「あ、すみません。実は妹の形見でして。本当に家族思いのいい妹でした。老いた親の面倒から家の手伝い、何でもしてくれて、それは本当にいい子でした。でも、先日殺害されたんです。何発も銃弾打ち込まれた上に、包丁でめったざしでした。いい人が見つかったって、あんなに幸せそうだったのに。一体誰が・・・。本当にあんないい子がどうして・・・」
医者は目を伏せた。
「サラっていうんです、うちの妹。あ、すみません、余計な話でしたね」
医者はカルテをまとめると、ドアに向かって歩き出した。
「それでは、シチリアーノ様。何かございましたら、いつでもお呼びください。特別病棟はこの奥の110号室です。お薬はお部屋のテーブルの上に置いておきます」
医者が出た時、シチリアーノは目をつむって考えていた。
「あのペンダントはオレがサラにやったものだ。あの医者の妹のサラは、オレが間違えて殺しちまったサラに間違いあるまい。手術がすんだら、あの医者も消すしかないな。やつは危険だ」


目が覚めたとき、シチリアーノはびっしょり汗をかいていた。
一体どうしたんだ?
なにか、すごく嫌な夢を見ていたような気がする。
思い出そうとしても思い出せない。
あの後、どうしたか?組の幹部に連絡をとって、しばらくは大きな仕事で連絡をとれなくなると伝えた。薬を飲んで、それから見たくもないテレビをつけてるうちに寝てしまった。
まあ、いい。2週間だ。大人しくしとこう。
そのとき
地面の奥深くはるか下から何か声が聞こえてきたような気がした。
何かがすれるような音。
テーブルの上の砂とガラスがすれるような。
その音は次第に大きくなり、やがてはっきりと分かった。
女性のすすり泣く声。サラの声だった。
「私はあなたを愛していたのに。あなたのために全てを捧げてきたのに」
腹のさらに奥深い暗闇から音叉のようにかすれた声が響きながら這い上がってくる。
精巣から腸を震わせ、肝臓、胃をそして食道を伝わり脳裏まで響くその声。
「あなたのために全てを捧げてきたのに」
間違いない。あれは赤ん坊なんかじゃない。サラの怨念だ。
「すまなかった。分かってくれ。オレだって、お前を殺したくなんてなかった。ただ、オレはお前が、ゼビッツオのやつと関係したと勘違いしちまったんだ。だからそうじゃなかったと分かったとき、俺は悔いたんだ。本当だ」
ワタシハ アナタヲ アイシテイタノニ
「違うんだ。俺だってお前を愛していたさ。だから、今こうして悔いているんだ」
ワタシハ アナタヲ アイシテイタ
シチリアーノは生まれて始めて恐怖した。
これまでの人生、恐怖を感じたことは一度たりとてなかった。
拳銃を突きつけられたときも、敵陣に一人乗り込んだときも、羽交い絞めにされて刃物を目玉に突きつけられたときも恐ろしいなどと感じたことはなかった。
やれるものならやってみろ。その代わり地獄まで道連れにしてやると。
しかし、シチリアーノは、今、生まれて始めて恐怖した。
化け物は今、オレの肉体と同化しながら、オレを呪い殺そうとしている。
「悪かった、サラ。すべてオレが悪かった。本当にオレはとんでもないヤツだ。そうだ、オレが悪かった。だから許してくれないか?」
ワタシハ アナタヲ アイシテイタ
「今でもお前を愛しているよ。抱きしめたいくらいだ」
ジャア 抱イテクレル?
黒光りするぬるぬるした何かが腹の底で、口を裂きながら笑ったのを、シチリアーノは脳裏の映像として見た。深紅の口の奥にはどこまでも深い空洞の闇が顔を覗かせていた。
ネエ ワタシタチ コレカラ ズット一緒ヨ
起キテル時モ 寝テイル時モ
アタシハ イツマデモ アナタヲ 愛シテアゲル
コンナフウニネ
絶叫がその病室から響きわたった


翌日。少し離れた部屋では、医者と刑事が話をしていた。
「ホシがシチリアーノってことは分かってるっていうのに、逮捕できないなんて、クソッ。悔しすぎる」
30代半ばの目つきの鋭い刑事が、眉間に皺を寄せながらため息をついた。彼は今まで何度もシチリアーノに苦汁を飲まされていた。
医者は煙草をくゆらせながら笑った。
「逮捕はできなくても、彼はずっと監獄の中ですよ」
「監獄の中?」
「そう、ずっとね」
「彼は、自分の腹に子供ができたなんて妄想を信じ込んでるんですよ」
「自分の腹の中に?」
「そう。しかも、その自分の腹の中の子供に呪い殺されるって信じてるんですよ」
「気が触れたのか?」
「まあ、そういうことですね。彼はこれから起きているときも、眠っているときもずっと腹の中の子供の呪いを聞いているんです」
「治してやるつもりはないんですな?」
「毛頭」
2人は目を合わせて微笑した。
サラ。兄さんはシチリアーノに復讐を遂げたぞ。
あの獣以下の鬼畜にな。
まさか、お前を殺したシチリアーノがオレの診療所に来るとは予想もしていなかった。
だがな、これはチャンスと思ったんだよ。お前の敵をとるチャンスだとな。
兄さんは、看護婦等の人払いをした上で、シチリアーノをひっかけてやったのさ。モニターに移った映像は以前に録画してあった他の患者さんの映像さ。
聴診器の鼓動音は、実はどちらも同じ音だったのさ。
オレはヤツに薬を飲ませ、催眠にかけてやった。以前学んだ心理学の知識がこうした場面でも役立つとは想像もしていなかったよ。
起きている間も、眠っている間も、体内の奥から呪われるのだって暗示をかけてやった。
ただ、オレにも分からないことがある。
昨日、シチリアーノのやつが、胎児の目が開いたのどうの言っていたが、それがオレにも分からないんだ。あの映像にそんな場面はなかったはずだから。まさか本当にお前なんてことはないだろうがな」
絶叫が個人病棟から響き渡る。
大丈夫。ちゃんと人払いしてある。
あと3日もあれば、シチリアーノも完全に狂ってしまうだろう。
今日の煙草は格別にうまい。
やっぱり地道にコツコツ頑張ってるといいこともあるものだな。
神様、本当にありがとうございます。
アーメン

 

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