6月13日土曜日 日本橋亭にて「演芸大病院」公演が無事終了しました。
午前11時開演で午後三時半お開きという長丁場で、ご来場のお客様には改めて御礼申し上げます。
この数か月間劇場は事実上封鎖されておりました。演者もお客様も生の舞台から隔離された状況に置かれていた訳です。
当日は、オマケに梅雨の真っただ中、雨は激しさを増すばかり。
正に烈士の集まりとも呼べる聴衆、演者の祭典。
しかし日本橋亭も全席椅子席に変更。椅子も間隔をあけて固定されました。
やはりお客様が散らばると中々集中が収斂されない上に、高座も極力襖側に配置されている為に演者とお客様が遠い
環境ですと、雰囲気の温まり方に時間が掛ります。
そんな中の開口一番は、二つ目昇進が延期された被害者、桂こう治。で「たぬき」
大熱演ですが、やはり巧く調子に乗って行けない!
続いて春風亭弁橋さん。「べんきょう」は出世名前で今まで何人も居ましたが、弁慶の弁の字が付いたのは
彼が最初でしょう。昨年二つ目に昇進したばっかりです。踊りもいける人なのでお願いしました。
「落語と踊り」というタイトルは先代雷門助六師匠以来、と高座で言っていましたが、無意識でした。
失礼しました。子供のころから噺家を目指していたほどの申し子、顔も芸人らしい。「堀の内」と深川で楽しく。
続いて、橘家圓太郎師匠。鍛錬を日課にする師匠だけに体調は万全とのことです。
万全の体調にて「短命」。ドキツクなくて清潔。良いですね。
ちょろりちょろりと「大病院」の感じが出て来ました。
そして、奇才、講談の寶井琴星先生には十八番の「安政三組盃」より”羽子板娘”
明快明瞭、飄逸無類の琴星先生。啖呵もカッコいい。ここで「換気と仲入りその一」
大粒の雨の音が会場にも響きます。
第二部の幕開きは、東家一太郎先生+東家美師匠による浪花節。
今回は講談の机でやって頂きました。演題は義士外伝の「弥作の鎌腹」
一太郎先生の師匠である浦太郎先生の十八番。このネタをお願いしました。
歌舞伎ではほとんど出ません。神崎与五郎にまつわる外伝なのです。
何でも弊社の神田伯龍の会にはお客様でお越しだったそうで、御見それしておりました。
今日の机は伯龍の机です。
艶のある良い声、音程も良い。前半の牧歌的叙情から一転する悲劇。
見事な運び。こういう方が居る限り、関東節大丈夫だなと思いました。
そしてご存じのせんだみつお先生の登場。やはり最も聞きたい問題が連発しました。
しかも数日前に新たな性豪芸人の登場というファン垂涎のネタがありましたのでその道に一家言ある
せんだ先生のせんだ節が炸裂。これぞライヴの醍醐味。
そして、大阪から桂春若師匠をお招きしました。何と弊社の3月21日の日本橋亭独演会ぶりの高座ということで、
ビックリです。お馴染みジョーク集から、先代桂文我師直伝の『始末の極意』。
これだけの名手が、やはり何となく手探り感があるというのも状況のなせる業なのでしょうか?
ここで「換気と仲入りその二」。雨は激しさを増すばかり。
そして、柳家小菊師匠の粋曲。楽屋でも何とも声が思うように出ないというお話でしたが、そこは名人。
綺麗にカチッとまとめてくれます。この高座のあとは浅草に掛持ち。
そして4月26日の独演会が延期となった、ぜん馬師匠がトリ。
小金井芦州直伝の『髪結新三』の長講。一時間を超える作品。
今日はいつもの出囃子”舌出し三番叟”ではなく”薩摩さ”で上がります。
こういう話は、何といっても雰囲気が大事で、錆の利いたぜん馬師の容貌と声。
色悪の気配が横溢し、稀に見る出来だと思います。
歌舞伎も半年近くも上演されておりません。こんなこと歌舞伎が完成してからなかったことだと思います。
そんな中、生世話物の世界をぜん馬師匠が見事に現してくれました。
忠七を新三が打擲するところ。
これでお開き。ご来場に御礼申し上げます。5月の末に日本橋亭も6月から開けられそうだと聞き、急遽借りまして
会を開きましたが、準備の不足も宣伝の不足もございました。
蛮行かもしれませんが、お客様と演者の協力を得まして会を終えました。
今後外出や対面コミュニケーションを否定する世の中が続くと、公共マナーのさらなる下落、「ケとハレ」感覚の不明確が進み、
これ即ち、時間と金を使って出かけて見に行く「舞台もの」そのものを否定することに繋がらないかと不安になります。
「自粛の粛は粛清の粛」という厳しい言葉が、当日の演者から洩れましたが、これにも深く考えさせられました。