我が敬愛するブロガー、<もも>氏と<すみれ>氏
より、偶然にも関連するお題を頂き、その結果として私の脳は覚醒モードに突入した。すなわち、
一文字漢字バイオリズム
で言うところの、
「レベル9」(躁)
言い換えると、ハイテンションモードである。

こうなると強い。アイデアが次から次へとほとばしり出る。いくら観念奔逸(かんねんほんいつ)のそしりを受けようと、貴重な体験である。24時間の間にブログ記事20あまり、また<すみれ>氏に示した、
論説の文章に含まれる段落の論理的構造図
言い換えると、
「段落のつながりがどのような論理的関係にあるかを示す図」
「正しい文脈を明示する図」
にして70ページほどの創作物が得られた。あとはこの「走り書きしたまとめ図」を元の文章に書き戻すことができれば膨大なページ数の記事が作成できることになる。

ここで「できれば」と書いたのは、元の文章に書き戻すことができない可能性があるためである。自分としては良いアイデアのつもりで走り書きしていても、それをあとから見て読めなければ(理解できなければ)せっかくのアイデアは失われてしまう。その危険性が大いにあるということである。


レゲットの樹

論理的で分かりやすい文脈を表すレゲットの樹の説明はこちら



具体的な例を挙げよう。1981年ノーベル化学賞を受賞した福井謙一氏のエピソードである。氏は寝ている時に数々のアイデアを思いつくと言う。そのアイデアを逃さぬよう、閃きの瞬間、やおら起き上がり、傍らで寝ている奥方にアイデアを口述筆記させることを習慣としていた。氏と奥方の二人三脚の「アイデアのまとめ」作成が終了すると、安心して二人は朝までぐっすり眠る。朝、起きて「まとめ」を読んでみると理解できない。奥方はしっかりとした文字を並べており、文字が判読不能であるわけではない。しかし、「まとめ」の文が繋がらない。福井氏は自分が繰り出したはずのアイデアを理解することができない。
「うーん、分からん。さっぱり分からん。」
おそらく福井氏が思いついた時点でそのアイデアは何らかの意味を持っていたのだろう。それは再び「知の地平線」の彼方へと去って行ったのである。しかしながら、氏は失われたアイデアに固執することは無かった。
「分からんっちゅうことは、どうせろくでもないアイデアやったんやろ。」
きっぱりと諦め、次の閃きを待つのだった。アイデアがろくでもなかったかどうかは知る由もないが、それよりも奥方を責めることをせず、自分の後悔悲嘆を避けることを良しとした。こうして福井氏の天才の多くが失われてしまった可能性がある。ふだんはただの秀才であっても、ときとして極端な閃きを示すのが天才である。その意味で福井謙一氏はまごうかたなき天才であった。


福井謙一

うーん、分からん。さっぱり分からん。


私は自身を福井氏と並び比較するほど厚顔無恥ではないが、同様の体験をする者ではある。氏と同様、クリエイティブな仕事をする多くの方々の末席を汚させて頂いている。ただレベルが福井氏と月とスッポンのように違うだけである。私も朝起きて「アイデアのまとめ」を目にして嘆く。
「うーん、読めへん。絶対、エエこと書いたぁるはずやけど、読めへん。(x_x;)」
私は福井氏と違って閃きの頻度が圧倒的に少ないため、さめざめと枕を濡らすのであった。




話を戻そう。<もも>氏と<すみれ>氏からの刺激によって獲得された(と思われる)数々のアイデアを記事に書き起こしたものが次の記事(以降)である。手始めにまず、
「眠りと超能力: これであなたも超能力者! 眠い授業中に目を開けたまま眠る方法+眠い自宅学習中に一瞬だけぐっすり眠る方法(仮)」
の記事からスタートする。請うご期待を!ヾ(。゜▽゜。)ノノ゛


スピルバーグ映画「A.I.」より

今は超能力のように思われるが、いずれ眼球なしで物を見るようになる