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以前の記事で、
「神は存在するか?」
について書いた。そこで展開した持論は、
「『神=偶然』論」
であった。すなわち、
「擬人化されるような意思を持った神は存在しないが、結果として幸福をもたらす偶然という神が存在する」
という結論だった。それを受けてこの記事では、
「この宇宙(世界、自然)は偶然という意思なき神が作ったにしてはうまく出来過ぎているように見える。うまく出来ているこの宇宙を創造したのは意思を持った神ではないのか。」
という問いに対する答、あるいは答の方向性を与えたい。話のベースとなる「『神=偶然』論」をここでは繰り返さないが、そのエッセンスを理解して頂けるような物語を示そう。出典は阿刀田高の短編小説であり、思い出すままに手を加えて紹介する。


「お告げ」
  ある日、男に郵便が届いた。何やら宗教団体からの手紙である。中にはこうあった。
「私どもは神のお告げを受け、人々に幸福をもたらす団体です。あなたに耳寄りな情報があります。お告げによると、来たる日曜の競馬メインレースでは、10頭のうち『3番』が優勝します。ぜひ馬券をお買い求め下さい。」
男は「馬鹿らしい」と一蹴し、手紙を捨てた。日曜になって競馬中継を見ると、お告げ通り『3番』が優勝した。
  翌週、くだんの宗教団体からまた手紙が届いた。
「今度のレースでは、10頭のうち『8番』が優勝します。チャンスを逃されませんように。」
男は少し気になったがやはり手紙を無視した。しかしレースではお告げ通りに『8番』が優勝する。男は半信半疑ながら興味を持つようになる。
  さらに1週間して届いた手紙には、
「『6番』が優勝すること、信じて頂きたく…。」
まさかと思って日曜のレースを見ると、またしても的中。10頭のうち『6番』が優勝した。男はもはや何の疑問も持たなくなった。
「この神様は本物だ。3回もチャンスを失ったことが悔やまれる。」
  そうして届いた翌週の手紙。
「これまで3回のお告げで大金を手にされたことと存じます。次回のお告げは有料とさせて頂きます。100万円をお振込み頂けば、次の優勝馬の情報をお届け致します。」
大金が手に入るのは目に見えている。男は大急ぎで100万円を振り込み、ほどなく優勝馬が書かれた手紙を受け取る。そうして迎えた日曜のレース。男は手持ちの金をすべてお告げの馬につぎ込み、大金が手に入るのを待った。しかし、優勝したのはお告げの馬でなかった。男は一文無しになり、振り込んだ100万円も返って来なかった。騙されたのか。神様は今回の予想に失敗したのか。それさえも分からない。
  その頃、宗教団体を名乗って100万円を手にした男はほくそ笑む。
「ちょろいもんよ。最初は1,000通の手紙を出したのさ。100通に『1番』、100通に『2番』…って書いて。そしたら100人が当たったのさ。2回目はこの100人に手紙を出した。10通に『1番』、10通に『2番』…。もちろん10人が再び当たり。3回目はこの10人に…。もう言わなくても分かるだろ。3回とも『当たり』だった1人に100万円を振り込ませたというわけ。自分以外の999人が『はずれ』だったってこと、あいつは気づかないんだろうな。ははははは。」


この話から、
「幸福をもたらす神とは偶然にほかならない」
という結論が理解できるだろう。この話において注意すべきことは、男は最後まで自分に「幸福」が訪れていると信じていた(最後の1回だけは不幸であったが)。それは「幸運」という「偶然」の産物でなく、何らかの意思をもった存在(擬人化される神)による「必然的な」「幸福」と思われた。自分に起こっている事象が「偶然」であるためには、言い換えれば自分が「勝ち組」であるのが「偶然」のせいであるためには、多くの「負け組」(今の場合、馬券が当たらなかった999人)の存在が必要である。「負け組」が存在しなければその事象は「必然」であり、「負け組」の存在を知らない男にとって事象は神によって企図された「必然」と感じられた。このように同じ事象が、誰の意思にもよらない「偶然」と理解されたり、誰か(神)の意思による「必然」と解釈されたりする。神と偶然は表裏一体を成す同一の存在なのである。


1.偶然


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さて、ここまでで私の私見において、「神」とは何か理解して頂けたことと思う。次に「宇宙」について考える。ここで言う「宇宙」とは、「物理的に我々を取り巻く自然界」という広義の宇宙である。

自然界として宇宙そのもの(狭義の宇宙)を考える前に地球を考えよう。すなわち、
「なぜ我々の住む地球はこのようなものなのか」
という問いを考える。なぜ地球は太陽から1億5千万kmの距離にあるのか。なぜ地球には月があるのか。なぜ地球の外側の軌道には木星や土星といった巨大惑星があるのか。なぜ地球の中心には溶けた鉄から成るコア(外核)があるのか。なぜ地球の年齢は45億年なのか。などなど。

これらはすべて人間が存在するための必要条件である。地球が現在の軌道よりも太陽に近ければ金星のように灼熱の世界になり、逆に太陽より遠ければ火星のように極寒の世界になる。地球が現在の軌道にあることで初めて温度が0~100℃の間になり、水が液体として存在する。そのような液体の水があるために水に溶けた物質が速やかに化学反応し、無機物から有機物、有機物から高分子、高分子から原始生物が発生する。こうして太陽と地球の距離が現在の値であるために人間が存在することが分かる。必要とされる太陽と地球の距離はちょうど1億5千万kmでなくても良いが、ある狭い範囲に収まっている。許される太陽と地球の距離は現在の距離の97~139%という範囲であることが分かっており、これをハビタブルゾーン(居住可能領域)と呼ぶ(ゴルディロックスゾーンとも言う)。太陽と金星の距離は太陽と地球の距離の72%、太陽と火星の距離は太陽と地球の距離の152%であり、金星も火星もハビタブルゾーンの圏外にあるため金星人も火星人も存在しない。

地球と太陽の好都合な距離だけでは人間の発生に不十分である。地球の地軸が不安定であれば極と赤道が入れ替わり、劇的な環境変化による生物の大量絶滅が頻繁に起こる。その場合、原始生物から高等生物への進化は妨げられ、現在まで地球が存在して来た45億年では不可能と考えられる。地球の地軸を安定させているのは月であり、月の存在が人間の発生を支えている。木星や土星はその大きな引力によって遠方からの彗星・小惑星・巨大隕石を捕捉し、大量絶滅の原因となる地球との衝突をごくまれなものにしている。地球内部の溶けた鉄は地磁気を誘起し、地球の周りに磁場という「防護壁」を作る。そのおかげで太陽から降り注ぐ有害な放射線(荷電粒子線)が遮蔽されて人間は生きられる。地球の年齢(45億年)は宇宙の年齢(138億年)よりずっと短いが、このためにビッグバンの後、星の誕生・死滅のサイクルが何回か起こっている。星の爆発的な死(超新星爆発)によってのみ、現在ある100種類ほどの元素が生まれ、その元素を使って人間の体が出来ている。したがって、何回かの星の生死サイクルの後で地球が生まれるためには、地球の年齢は宇宙の年齢よりもずっと短くなければならない。その一方で、地球の年齢は生物進化が起こるほど長くなければならない。長すぎくもなく短すぎくもない45億年が人間の発生を可能にしている。

このように多くの好条件のおかげで地球に人間が存在するが、誰がそのように条件を微調整(ファインチューニング)したのか。「天の配剤」と称して意思を持った神の存在を肯定したくなる。少し考えれば分かることだが、地球にもたらされたこれらの好条件はすべて偶然に基づいている。「偶然にもほどがある」と言いたいところだが、地球という「勝ち組」の陰に圧倒的多数の「負け組」がいる。地球が属する天の川銀河には約1,000億個の太陽系があり、宇宙には約1,000億個の銀河がある。ひとつの太陽系に1個の惑星があるとしても惑星は1,000億×1,000億個もあり、ある程度の数の惑星が好条件の重なった「勝ち組」であるとしてもそれは偶然で、莫大な数の「負け組」がいる。つまり、地球の好条件は「偶然にもほどがある」と否定されることではなく、想定内の単なる偶然である。したがって、
「我々の住む地球が我々が存在できるようになっているのは偶然である」
と言うことができる。


2.地球と人間


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ところがである。「我々を取り巻く自然界」として地球の代わりに宇宙を取り上げて、
「なぜ我々の住む宇宙はこのようなものなのか」
を考えると、以下で説明する困難・不思議に直面する。

我々の宇宙を特徴づけているのは物体間に働く重力の大きさ(重力定数)や電子の質量などの自然定数であり、上の問いは、
「我々の宇宙の自然定数はなぜ現在ある値になっているのか」
と言い換えられる。地球に対する議論と同様、宇宙の自然定数の現在の値は人間が存在するための必要条件になっている。たとえば、重力定数が現在の値よりもほんの少し小さいだけで恒星はスカスカになり、大量のエネルギーを放出する核融合反応が充分には起こらない。その場合、宇宙のどの惑星も極寒の世界になり、人間は存在できない。その他の自然定数に課せられた条件を考え合わせると、それらがすべて現在の値(からそう遠くない値)になっていることが我々の存在を可能にしている。

それでは、
「なぜ我々の宇宙の自然定数が都合の良い値になり、我々が存在できるのか」
地球に関する上記の議論を思い出して、
「我々の宇宙の自然定数が好条件になっているのは偶然である」
と言ってしまいそうになる。しかし、ある事象が偶然と言うからには、その事象が偶然たり得る多くの試行、多くのサンプルが必要である。
「我々の宇宙がまれに見る『勝ち組』だとしたら、多くの『負け組』宇宙はどこにあるのか」
我々が存在しない「負け組」宇宙などどこにもない。宇宙は1つである。たった1つの宇宙がなぜこうも好都合に出来ているのだろうか。これは不思議と言わざるを得ない。この疑問に答える説は少なくとも下に示す5つある。


3.不思議な宇宙


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ひとつの説は、実は多くの「負け組」の宇宙が存在するというものである。そんな宇宙はどこに存在するのか。宇宙はビッグバンという1点からの爆発で始まり膨張を続けている。しかし将来のあるとき、膨張は収縮に転じてビッググランチと呼ぶ1点への消滅で終わる可能性がある。さらにビッグクランチの後、再びビッグバンで宇宙が誕生するといったサイクル(輪廻転生)を永遠に繰り返すのかも知れない(サイクリック宇宙)。その場合、我々がいる「今回の宇宙」はまれに見る好都合な自然定数を有しているが、「前回の宇宙」も「次回の宇宙」も、さらにはずっと多くの回数の宇宙で自然定数は好都合に出来ていない。そういう意味で多くの「負け組」の宇宙が存在するから、我々の宇宙が「勝ち組」なのは偶然としてあり得る。この説の弱点は、宇宙がいつか収縮に転じて輪廻転生を繰り返す証拠は無いということである。

次の説は上と同様、多くの「負け組」の宇宙が存在するというものであるが、ビッグバンの直後に多くの宇宙が発生したというものである。ビッグバンのほんの少し後で「インフレーション」と呼ぶ劇的な膨張が起こり、その後、宇宙は穏やかに膨張している。インフレーション自体は観測事実を説明するものとして通説になっているが、インフレーションの際、極端に引き伸ばされた空間は多くの泡から成る構造を持ち、その泡の1つ1つから多くの宇宙(多元宇宙、マルチバース)が誕生するという考えがある。このような多くの宇宙が存在するならば、そのうちのいくつかの宇宙では自然定数が都合よく出来ており、我々の宇宙は偶然にも「勝ち組」になっただけのことである。多元宇宙の弱点は、サイクリック宇宙と同様、我々が他の宇宙を感知し得ない、他の宇宙が存在する証拠を示せないということである。また、我々がいる1つの宇宙を説明するのに多くの宇宙を仮定すること自体、論拠はシンプルであるべきであるという指針「オッカムの剃刀(かみそり)」に反する。

3番目の説は多元宇宙とは違った意味での多くの宇宙、いわゆる平行世界(パラレルワールド)と呼ばれるものが存在するという説である。平行世界は「量子力学の多世界解釈」と呼ばれるパラダイム(規範)に起因する。量子力学は主としてミクロな現象を説明する理論であり、たとえば炭素14と呼ばれる元素が窒素14に変化する現象を説明する(正確に言うと、炭素14は窒素14と電子とニュートリノに「崩壊」する)。炭素14の変化はいつ起こるか分からない。1年後かも知れないし、1万年後かも知れない。平均として5,730年後に崩壊することが知られているだけである。話がそれるが、この年数を利用して考古学の年代調査が行われている。さて、1個1個の炭素14がいつ崩壊するか分からないのなら、理論(量子力学)は何を明らかにしているのか。ひとつの解釈は崩壊の確率を表しているということであり、これは「量子力学の確率解釈」と呼ばれる。しかし、アインシュタインがそうであったように、自然がそのような「不確かな」法則に支配されているのは心もとないと直感的に感じる人は多い。のみならず、崩壊前は確率しか分からなかったのに崩壊の「瞬間」に事実が確定して確率が1になるのは、光速を越えた無限大の速度で情報が伝わることを意味し、他の理論(特殊相対性理論)と矛盾する。そこで登場するのが「量子力学の多世界解釈」である。多元宇宙がビッグバン、インフレーションという過去の一大事に際して発生するのに対し、多世界解釈による平行宇宙は四六時中、発生している。ある1個の炭素14が1年後に崩壊する「世界」があり、その同じ炭素14が1年後に崩壊せずに1万年後に崩壊する「世界」がある。世界は常に枝分かれして無限個の平行世界が生まれる。多世界解釈の弱点は上記の2つの説と同様、感知し得ない多くの平行世界を想定すること、「オッカムの剃刀」に反することである。

p5/8
4番目は「時間的多元宇宙(サイクリック宇宙」「インフレーション由来多元宇宙(マルチバース)」「量子力学的パラレルワールド」と違う意味での多元宇宙仮説で、「ブレーンワールド仮説」と呼ばれる。我々が感じることのできる世界(宇宙)は3次元空間(と1次元時間)だが、それが平行に並んでいるというのである。宇宙を2次元の膜(メンブレーン、ブレーン)に例えると、実際の宇宙はそれよりもひとつ次元が高い時空であり、いろんな自然定数をもつ無数の2次元膜宇宙が並んで存在している。我々の宇宙はそのひとつに過ぎず、それが人間が存在できる「勝ち組」であるのはまったくの偶然である。しかしながら、このようなブレーンワールドはとってつけた感があり、必然性を感じない。また、他の多元宇宙同様、我々以外の宇宙を感知することができないとしたら、証明不可能な不可知論に陥る。

最後の説は「人間原理」と呼ばれるもので、
「我々の宇宙が我々が存在できるようになっているのは我々が存在するからである」
というものである。禅問答のようで何を言っているか分からないかも知れない。「人間原理」は、
「我々の存在が我々の宇宙を作っている」
という因果関係を主張しているのではない。我々に宇宙を作る能力はないし、第一、100万年程度の年齢しかない人間が100億年以上の年齢の宇宙を作れるはずがない。「人間原理」を正しく言いかえれば、
「人間が存在するように宇宙が出来ていないならば、人間は宇宙を観測し得ない」
「人間が宇宙を観測しているということは、人間が存在するように宇宙が出来ているということである」
よく考えれば当たり前である。しかしこの論理によって、我々の宇宙が好都合に出来ていることに不自然さを感じなくなる。またこの説では他の説と違って、我々が存在できない「負け組」の宇宙を仮定する必要がなく、他の説のような弱点は見当たらない。


4.宇宙の観測


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「なぜ我々の住む宇宙はこのようなものなのか」
「なぜ我々の宇宙の自然定数が都合の良い値になっているのか」
という問いに対して5つの説を紹介したが、どれも証拠を示せるものではない。証明できないが正しいとして受け入れるものを「原理」と呼ぶが、その意味では上の5つの説はどれも「原理」である。「原理」として受け入れていたことが間違っている場合はあるが、それは「原理」から導かれたことが矛盾するとか現実に合わない場合である。逆に、そのようなほころびが無い限り、「原理」として受け入れていることが正しいと証明することはできない。上に挙げた5つの「原理」のどれを採用するかは、多分に個人の信念や理解しやすさによる。

しかしながら「原理」は論理的に正しくても、我々の宇宙のありようを説明しているわけではないし、さらに進んで、人間が気づいていない真理を発見するものではない。つまり「原理」を認めることは、原理を裏打ちしている深い階層の現実(原理の下部構造)や、原理と並立する階層の現実(原理の平行構造)を明らかにするものでなく、これらを明らかにすべき科学を放棄することになる。もっと言えば、「原理」を受け入れることは現実を肯定する哲学・宗教であって科学ではない。それで良いという人はそれで良い。しかし、自然をより深く理解したいと考える科学者にとって、上記の説は不満の残る回答である。

それでは、科学を少しでも進歩させようとしている最先端の科学者は何をしているのだろうか。実は、証明できない「原理」を受け入れるのでなく、「原理」に取って代わる理論を考え、それを実証しようとしているのである。理論と実験によって「原理」の根拠が示された例は枚挙にいとまない。前々回の記事に書いた「浮力の法則」(物体に働く浮力の大きさは物体が占める体積に比例するから、鉄1kgよりも風船1kgの方が受ける浮力は大きい)は、発見されたギリシャ時代から長きにわたってそれがなぜ正しいのか明らかにされることなく、「アルキメデスの原理」として扱われてきた。しかし、ニュートンによって力学の理論が創出されるや、多くの「法則」のひとつとして力学理論から導出されることとなった。このように、「アルキメデスの原理」を「浮力の法則」に落とし込むことができる「ニュートンの力学理論(ニュートン力学)」の創出こそが科学の進歩である。


5.アルキメデス


p7/8
「宇宙はなぜかくあるのか」という問いに関して言えば、科学はたとえば「なぜ電子の質量は観測されているようなものなのか」を導出する理論を考え、実証しようとしている。現在、科学者の共通理解として認められている「標準モデル」では、電子の質量やその他の自然定数を説明することはできない。ここで、「標準モデル」とは自然界の根本的な粒子(素粒子)に関する理論であり、かいつまんで説明すると次のようになる。素粒子には、電子など質量の小さい粒子(軽粒子またはレプトン)が6種類、陽子などを作るクォークと呼ばれる粒子が6種類あり、これらが物質を作っている。これら12種類の「物質を作る素粒子」に質量を与えるのがヒッグス粒子である。また、物質を作る素粒子の間に働く力は光子などの「力を伝える素粒子」のやり取りとして説明され、そのような粒子もまた12種類ある。現在、未発見で「標準モデル」の枠組みの外にある重力子もまた力を伝える素粒子である。力の種類としては電磁気力や重力を含めて4種類あり、重力を除いて統一した理論で説明できる。しかし、上で述べたように、この「標準モデル」によって電子を始めとする各素粒子の質量を求めることはできない。また、「物質を作る粒子」(レプトンとクォーク)も「力を伝える粒子」もなぜ12種類ずつ存在するのかは「標準モデル」の枠組みの中で説明できない。つまり、「標準モデル」が正しいことは実験的に証明されているが、なぜそうなっているのかは分からない。「アルキメデスの原理」が正しいことは分かるが、なぜ正しいのか分からず、問題の解決にはより根本的な「ニュートン力学」の誕生を待たねばならなかった状況に似ている。

そこで科学者が取り組んでいるのは、「標準モデル」を導出するようなより根本的な理論を創出し、その理論を実験的に検証することである。「標準モデル」を越えた理論の詳細を説明するには紙幅が足りないが、ひとつは「超対称性理論」、ひとつは「余剰次元の理論」であり、これらをベースとした理論が「超弦理論(超ひも理論)」である。「超対称性理論」は、「物質を作る素粒子」と「力を伝える素粒子」が「対称性良く」12種類ずつ存在することを説明する。「余剰次元の理論」は、この世界の空間が3次元(時空が4次元)でなく9次元(時空が10次元)であり、6つの余剰な次元は小さくまとまっている(コンパクト化されている)とする。このことから、なぜ重力が他の力に比べて極端に小さいのかが導かれる。すなわち、2次元平面内の重力の大きさは円周が半径に比例することから距離の1乗に反比例するが、3次元空間では球の表面積が半径の2乗に比例することから重力の大きさは距離の2乗に反比例する。空間が9次元であれば重力の大きさは距離の8乗に反比例して小さくなるが、余剰次元の空間は小さくまとまっているため3次元空間に出て来る重力は極端に弱くなっているというのである。また、「ブレーンワールド仮説」は複数の「超弦理論」を統一的に記述するために考案された「M理論」に由来する。平行宇宙は直接には感知できなくとも、重力子はその間を行き交うために重力が小さいことが導かれる(リサ・ランドールの「ワープする宇宙」)。実験的には、今年2015年5月から6月にかけてCERN(セルン、欧州原子核研究機構)のLHC(大型ハドロン衝突型加速器)を使って「超対称性粒子」の探索、またブレーンワールド仮説の検証としてミニブラックホールの生成実験が始まる。一方、日本が誇るスーパーコンピュータ「京(けい)」において「余剰次元」を仮定したシミュレーション(計算機実験)を行なうことによって、インフレーションが再現されつつある。

これらの理論が実証されれば、「なぜ宇宙(自然)はこのようになっているのか」という問いに答が与えられる。「人間原理」などの「原理」を頭ごなしに信じることを越えて、科学が宗教に取って代わるのである。


p8/8
「真理という山の頂きを目指して科学者は歩んで行く。そうして山頂に到着するとそこには先に神がいた。だからと言って科学者の歩みは徒労ではない。神ならぬ人間が真理に到達するには科学しか無いのだから。」



6.超弦理論