「台湾の老人用デイケアー施設を見学して」(日比恆明氏) | 清話会

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【特別リポート】 
台湾の老人用デイケアー施設を見学して

日比恆明氏 (弁理士)

過日、縁あって台湾にある「玉蘭荘」という老人用デイケアー施設を見学することができました。外国まで出掛けてデイケアー施設を見学する必要があるか、という疑問もあるでしょうが、ここは少々特異な施設であるため報告いたします。

まず、台湾の老人問題について簡単に説明すると、台湾でも日本と同様に高齢化社会になっており、政府は老人問題に直面しています。年金制度については、全国民が加入しなければならない「国民年金保険」は2008年より開始が始まったばかりで、本格的な給付はこれからとなります。

従来から台湾には軍人年金、公務員年金という制度は存在しており、これらの年金は極めて優遇された制度です。軍人、公務員が退職した際に受け取る退職金を年金基金に原資として預けると年9%という高利回りで運用され、その配当が年金となります(当然、赤字になるため税金で補填することになるのですが)。このような厚遇策は軍人、公務員に国民党関係者が多く働いていたことが要因のようです。

一般国民に向けては老齢年金という制度があり、掛け金をかけずとも65歳以上であれば月3千元(約1万円)が支給されています。その昔、日本でも国民年金制度が始まった時には似たような暫定措置がありました。しかし、月3千元では、物価の安い台湾でも老人一人が生活することはできません。すると、老後の蓄えが無い台湾の老人はどうしたら生活できるか、と言えば、子供の支援に頼るしかありません。しかし、日本と同様に、台湾でも若い人達の収入が低下しており、老人を家族の一員として生活の面倒をみることが困難になっています。

私の知っている90歳の老婆は、息子二人が老母の面倒をみることになりました。しかし、長男と次男が台北と高雄に住んでいるため、2ヵ月毎に長男と次男の家を交代することになりました。このため、老婆は2ヵ月毎に台北と高雄の間を高速バスで行き来しています。90歳になった老婆が高速バスに揺られて、一人で移動せざるを得ないのは、何か寂しさを感じさせるものがあります。この老婆は息子二人が面倒を見てくれるという保証を受けることができたのでまだ幸せかもしれません。台湾では年金制度が未発達のため、実際にはもっと悲惨な事例があるかと思われます。

次に、介護保険ですが、台湾では来年2017年度から制度が開始されるようです。日本の介護制度を真似したような内容らしいのですが、介護の質がどのような内容なるかは未定のようです。台湾には、既に民間の老人ホーム、介護施設があるのですが、施設利用費は物価に比べて高く、利用者は少ないという話を聞いています。

台湾での老人政策は、日本のそれと比べると遅れていますが、それを笑うことはできません。日本でも20年ほど前は似たような社会環境でした。むしろ、台湾は東南アジアの諸国に比べると年金、介護の制度は進んだものであり、老人問題に真剣に取り組んでいるのです。

さて、今回訪問した「玉蘭荘」は台北駅と台北101展望台の間に位置し、台北駅からタクシーで15分程の距離にありました。このデイケアーの施設は雑居ビルの4階にあり、約150平米の広さです。毎週、月曜日と金曜日がデイケアーの日で、午前10時から午後3時まで高齢者が集まって活動しています。それ以外の平日は、この施設まで来れない高齢者のためにボランティアが訪問介護をしているそうです。

   この施設でのデイケアーは無料ではなく、入口では受付が参加費を徴集していました。しかし、1日の参加費は会員なら100 元(約350円)であり、多分に名目的なものです。「玉蘭荘」の運営費は寄付金に頼っており、在台北日本商工会や個人からの援助によって成り立っていま す。また、デイケアーの会場となるビルの一室は、篤志家からの寄付により買い取ったものでした。 

さて、「玉蘭荘」における高齢者のデイサービスが極めて特異なのは、台湾という中国語圏にありながら、施設内では日本語が使われていることです。
 
そもそも、この施設は、台湾に居住している日本人妻の交流の場として始められたのです。戦前の台湾は日本の植民地であり、台湾人と結婚した日本人女性が多 数お見えになりました。戦後は中華民国の統治下となり、反日政策が採られたことから日本語を使う集会は禁止され、日本人妻はおおっぴらに日本語を使うこと ができない境遇にありました。母国語を使うことができず、慣れない中国語での意思疎通は大変なものだったでしょう。


このような窮状を鑑みて、堀田というキリスト教の宣教師が「中国語の不自由な日本人妻達のために、日本語が話せる場を提供 しよう」と、1978年から始めたものでした。最初は20名くらいの日本人妻の集会であったのがその後は参加者が増え、現在は数十名となり、1993年に は社団法人としての認可を取得しています。

この日の参加者で最高齢なのは97歳の橋本さんで、東京五反田の出身です。少し耳が遠くなっていましたが、言葉はハッキリとしてました。

山口さんは89歳で、日本に留学していたご主人と結婚され、昭和30年に台湾に渡られたとのことです。

最初は日本人妻の集いのために始めたのですが、現在の会員の中で日本人の会員は数名に減少し、会員の多くは高齢の台湾人となっています。これには植民地による複雑な問題が絡んでいます。戦前の高等教育を受けたエリート達は日本語で教育を受けており、物事を思考する際には中国語よりも日本語で考えた方が理解し易いそうなのです。小中学校での教育がその人の感性に大きな影響を与えたのでしょう。

また、他の理由として、戦前の台湾には「国語家庭」という制度があったことも一因となっているようです。「国語家庭」とは、台湾人でありながら家族全員が家庭内でも日本語だけを使う家庭なのです。植民地政策における「模範家庭」ということになります。

すると、このような家庭の子弟は戦後になって国民党が日本語の使用を禁止したため、中国語、台湾語の何れも不自由となり、仕事や生活で支障を生じたと聞きました。このような理由で「玉蘭荘」には日本語が堪能な高齢の台湾人の参加が増えてきましたが、それは昔の生活を懐かしむのではなく、日本語での会話の方が心が落ちつくとのことでした。成人になる前に外国語で教育を受けた結果であり、植民地であったことから発生した特殊な事情なのです。

「玉蘭荘」が入居しているビルの一室は、デイケアーの活動を行うための50平米くらいの教室、40平米くらいの手芸や絵画などに使われる予備室、事務室、調理室などに区分けされてました。この日の教室でデイケアーが始まると、まず歌謡曲「青い山脈」の音楽が流れ、全員が踊りだしました。これには少々驚かされましたが、この日のスケジュールが始まる前の準備体操で、歌謡曲に合わせて準備体操をするのは日本のデイケアーでも行われているようです。

毎回のスケジュールでは、最初の1時間ほどは牧師からの聖書の解説が行われていました。会の発足がキリスト教の教会で始まり、現在の運営も教会の下で行われているためなのです。しかし、特に宗教を強要することはなさそうで、クリスチャンでもなくても参加してみえる高齢者は多いと思われました。

この日、日本舞踊の慰問がありました。全員が台湾人で、和服を召されていました。師匠は日本人の駐在員と結婚された台湾人女性で、藤間流の名取を取得されてみえます。それ以外の女性は門下生ということで、1時間ほど日本舞踊を披露して頂きました。台湾で日本舞踊を鑑賞するのは奇異に思われるかもしれません。

これはアメリカ人が来日し、日本人がフラダンスを踊っているのを見て違和感を覚えるのと同じようなものでしょう。アメリカ人が全国各地にフラダンスの教室が開業していることを知ったら、驚くかもしれません。しかし、日本の文化が海外で広がることは有り難いことです。政府はアニメを日本独特の文化として世界に発信しようとしています。同じように日本舞踊も世界に普及させて欲しいものです。

日本舞踊が終わると昼食の時間になり、弁当持参組と弁当購入組に分かれてそれぞれ食事をされてました。持参された弁当の中身は相当に手の込んだ料理でした。弁当を持参しない人は、事務局に予約しておくと外部から購入した弁当が渡されていました。

しかし、老人向けの弁当ではないため、会員の中には「あまり美味くない」という声も聞こえました。スープと果物は事務局が用意していました。汁物であることから、弁当は持参できてもスープは持参できないからではないかと思われます。

昼食の前に教室の隣にある予備室では、本日の参加者数に合わせてボランティアが果物を用意していました。

事務室では専従の事務員が2名いて、毎日勤務しているとのことでした。事務員は有給ですが、デイケアーの活動を支援するのは無給のボランティアです。教室で高齢者が昼食を摂っている間に、事務員とボランティアの面々も昼食を摂っていました。ボランティアの多くは在台北の駐在員の妻や留学生であり、かならずしもクリスチャンということではないそうです。

この日のデイケアーの活動が始まる前の予備室では、若い女性が集まって雑談と情報交換をしていました。彼女達は高齢の会員を「玉蘭荘」まで案内してきたメイドなのです。多くはインドネシア、フィリピンから出稼ぎにきた「外労」と呼ばれる人達で、高齢者の家庭に住み込みで働き、料理や洗濯などの雑用をこなしています。1ヵ月の賃金は2万6千元から3万元(約10万円)程度であり、母国の家族に送金をしています。「玉蘭荘」の会員の中にはメイドを雇うだけの資力を持たれている方が多いのです。
 
会員の全員とは言いませんが、生活にゆとりのある人達が多いのです。教室で聞こえてくる会員の話の内容や身なりなどからして、皆様は余裕のある方のように思われました。現在、日本では「老人破産」とか「下流老人」といった言葉が流れています。台湾でも同じように底流で生活している高齢者は多いはずです。それらの底流階層に比べ、老後をこのようなデイケアーで過ごすことができるのは、台湾でも幸せな階層に属している人達なのです。

さて、台湾でのデイケアー施設の一部を報告しましたが、日本の旧植民地であった韓国にも高齢の日本人妻を対象にした介護施設があります。有名なのは日本人 妻だけを収容している老人ホーム「ナザレ園」であり、ここは上坂冬子により単行本となって紹介されました。また、日本人妻の相互連絡のための「芙蓉会」と いうデイケアーに似た施設もありますが、台湾の「玉蘭荘」とは全く性格が違っているようです。

韓国にある日本人妻を対象にした老人ホームやデイケアーはどちらかと言えば貧者 救済のような立場にあるからです。戦後の韓国では反日感情が高く、韓国人と結婚した日本人妻は酷い差別を受け、貧しい生活を強いられた人が多かったと聞き ます。また、朝鮮戦争が勃発し、国自体も貧しい時代が長かったため、日本人妻の救済や支援は遅れたのではないかと思われます。  

さて、これからの「玉蘭荘」はどのように変わっていくでしょうか。戦前に教育を受けて日本 語を流暢に話せる台湾人は高齢化しており、徐々に減少していくことは確かです。すると、日本語を軸として新しいコミュニティーを形成するとなれば、共通し た体験を持つ台湾人達の集まりに世代交代することになるでしょう。