●歌舞伎モンと伊達モンは同じ   2010年12月21日   ●洒落モン?
傾くと書いてかぶくと言う。
ご存じの人は多いと思う。
歌舞伎の始まりは出雲の阿国と言う高級娼婦が歌と踊りを披露した。
これが始まりで今まで面々と続いている。
海老蔵はこの歴史を汚してしまったけど。
派手なカッコウや言動をして人に認めさせるのが本筋だけど
彼のした事は人として最低限のルールを踏み外したことには間違いない。
ここにも義務と権利のルールは働いている。
 
花魁は源氏物語を読んで居た。
出雲の阿国も高級と言われるように教養は高かったようだ。
娼婦は別名で娼妓とも言う。
技は手偏ではなくて女偏になって居る。
歌舞伎は人偏である。
手偏は技術者の事である。
 
白川文字学を余り詳しく知らないけれども白川先生ならこれについてドウ説明されるかな。
残念ながら亡くなられたので聞くことは出来ないけど。
 
歌舞伎モンはむかしから有ったようだ。
甲冑がそれに当たるらしい。
愛と大きくした文字を兜に付けたり一mのとんがり棒を被ったり。
これは張りぼてだったという説が有る。
現物は残っているけど鉄だからとても重くて戦場を馬に乗っていても駆け回ることは出来ない。
 
 
 
歌舞伎という名称の由来は、「傾く」(かたむく)の古語にあたる「傾く」(かぶく)の連用形を名詞化した「かぶき」だといわれている。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初頭にかけて京や江戸で流行した、派手な衣装や一風変った異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。
 
そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」で、慶長年間(1596年-1615年)に京・江戸で一世を風靡したのが出雲阿国である。その後阿国を模倣したさまざまな踊りが世に出たが、その多くが「かぶき踊り」の範疇で受け取られた。これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。
 
この「かぶき」に「歌い舞う芸妓」の意から「歌舞妓」と当て字したのはその後のことだった。寛永年間(1624年-1643年)に遊女歌舞伎が禁止されると、芸妓に連なる「妓」の字に代わって伎楽に連なる「伎」の字を用いた「歌舞伎」の表記が見られるようになるが、江戸時代を通じてこの「歌舞妓」と「歌舞伎」は混用されていた。これが現在のように「歌舞伎」に落ち着いたのは明治になってからのことである。Wikipediaより
 
 
一方 伊達モンと言う言葉が有る。
これは歌舞伎モンの派生としての扱いのようである。
 
私は福井だけども若い時に派手なパンタロンを履いて歩くのが大好きでいつも「伊達コキ」と言われていた。
方言かどうかはハッキリしないけども派手なカッコウすると伊達コキになる。
「コキ」がドウイウ謂われで付いたのかは定かで無い。
 


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 伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
伊達氏第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから「独眼竜」と称されている。
文禄2年(1593年)秀吉の文禄の役に従軍。従軍時に政宗が伊達家の部隊にあつらえさせた戦装束は非常に絢爛豪華なもので、上洛の道中において巷間の噂となった。
3000人もしくは1500人の軍勢であったとの記録がある。他の軍勢が通過する際、静かに見守っていた京都の住民も伊達勢の軍装の見事さに歓声を上げたという。
これ以来派手な装いを好み着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった[5]、と伝えられる。

★伊達巻 - Wikipedia http://bit.ly/IVuWI6
 伊達巻(だてまき)は、卵料理のひとつ。伊達巻き卵とも。長崎においてはカステラ蒲鉾とも呼ばれる。
伊達巻という名前の由来については、

1.伊達政宗の好物だったことから伊達巻と呼ばれるようになったという説
2.普通の卵焼きよりも味も見栄えも豪華なために、洒落て凝っている装いを意味する「伊達もの」から伊達巻と呼ぶようになったという説
3.女性用の和服に使われる伊達巻きに似ていることからこう呼ぶようになったという説
など諸説ある。

★伊達巻(だてまき) 日本大百科全書(小学館)
和装小物の一種。長襦袢(ながじゅばん)の上か、帯の下に胴を整えて締める幅の狭い単帯(ひとえおび)。
幅9.5センチ、長さ2.1メートル内外で、胴を2回りして端を挟み込んで固定する。または両端に紐(ひも)をつけて結ぶこともある。
おもに博多織が用いられ、いちばん締めよい。
無地、献上、縞(しま)などが多い。
伊達巻を改良したものに伊達締(だてじめ)がある。これは伊達巻の両端の織り方をかえて結びやすくしたもので、近年は一般化している。
舞踊、花嫁衣装などのときは、胴を3回りする長いものを用いる。

★伊達巻とは - はてなキーワード http://bit.ly/IVIZNf
卵黄をすりつぶした魚肉に混ぜ、焼いてすだれ巻きにした食べ物。
お正月のおせち料理では主役級の扱いだが、
その他の時季には、細々とは売られているが、
ほとんど見かけない食べ物の一つ。

★伊達巻の作り方 http://bit.ly/Iv4qGI
★伊達巻の作り方 http://bit.ly/IlMIHw
 
 
視野レで派手な物腰が歌舞伎モンとか伊達モンと言われていたようだ。
伊達者という言葉は今回調べてはじめて判った。
私が聞いている言葉が邪道かもしれない。
 
日本語を見ていると飽きないものが多い。