●きんたろう 【金太郎】●『紙芝居』の歴史
★きんたろう〔キンタラウ〕【金太郎】
(1)源頼光の四天王の一人、坂田金時(さかたのきんとき)の幼名。相模の足柄(あしがら)山に住む山姥(やまうば)の子といわれ、獣を友として育った怪力の持ち主。浄瑠璃・歌舞伎では怪(快)童丸の名で登場。
(2)
1.(1)をかたどった人形。
2.《1が掛けているところから》ひし形の布地の三つの隅にひもをつけた、幼児の腹掛け。

★さかた‐の‐きんとき【坂田金時】  http://p.tl/elrg
平安後期の武士。相模足柄山に生まれたと伝えられる。幼名、金太郎。源頼光の四天王の一人。後世の御伽草子などで伝説化され、五月人形となって残る。浄瑠璃・歌舞伎では快(怪)童丸の名で登場する。生没年未詳。
・「酒田」とも、また、「公時」とも書く。

★金太郎(童話)  [単語記事] - ニコニコ大百科  http://p.tl/Uafi
金太郎は、赤い腹掛けが特徴。常にまさかりを担いでおり、体が赤くて太く、怪力の持ち主。またの名を怪童丸。
足柄山に住み、熊や猿、鹿などを友達とし、相撲や乗馬(乗熊?)が趣味。
ここらあたりは童謡でも概ね歌われているので、知っている人も多いだろう。
しかし、実在の人物だったこともあってか、金太郎の存在は知ってはいるものの、物語の概要を詳しく説明できない人が多い。また、金太郎伝説は足柄山のある神奈川県や隣接する静岡県のほか、長野県などにも存在する。
金太郎の好きな食べ物はおにぎりと焼き芋である。おにぎりは、動物たちと相撲を取った後に動物たちに分け与えるなど、金太郎の優しい一面を表している。
また、「まんが日本昔ばなし」に登場する金太郎は青い腹掛け1枚で過ごしており、お腹が空いたときに母親からもらった焼き芋をたくさん食べている場面があるが、焼き芋には繊維質がたっぷり含まれており便意を促す働きがあることがよく知られており、実際に「まんが日本昔ばなし」の金太郎にはそれをよく表している下記のエピソードがある。
金太郎は焼き芋をたくさん食べ過ぎたので、翌朝になって急激な便意を感じたので、急いで猿といっしょに外に出ることになった。金太郎は腹掛けを付けていてもお尻が丸見えなので、腹掛けを付けたままでお腹に力を入れて「うう~んっ」と勢いよくふんばると、金太郎はでっかくて長いうんこをいっぱい出た。うんこがいっぱい出たことですっきりした金太郎は母親に「おっかあ、でっかくて長いのが出たぞ」と呼ぶと、母親もすぐに金太郎のところへやってきた。母親が金太郎のところへ行くと、金太郎のでっかいうんこを見て「ほんにまあ、でっかいうんこじゃね。元気な証拠じゃ」と、でっかくて長いうんこが出た金太郎は元気な男の子である証拠として褒めていた。


★大江山 おおえやま http://p.tl/kvDx
石見神楽の演目。平安時代、源頼光が配下の四天王と共に大江山に住み都を荒らす鬼とその頭領である酒呑童子を退治する。

★酒呑童子 しゅてんどうじ  http://p.tl/Az7A
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領(盗賊であったとも)である。他の呼び名として、酒顛童子、酒天童子、朱点童子と書くこともある。室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。
★鬼退治伝説の意味  http://p.tl/tCwg
大江山の位置する丹後地方は古くから大陸との交流が深く、帰化人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事、多くの富を蓄積していた、これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。このような出来事が元になり自分達を正当化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説もあり、帰化人が山賊化し非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。

★金太郎飴(きんたろうあめ) http://p.tl/IstW
飴細工の一つで、東京都台東区根岸に所在する株式会社金太郎飴本店の登録商標である。日本の昔話の主人公である金太郎の顔の睫毛や瞳などを含む目・鼻・口・月代(さかやき)などの色を模した板状の飴をあらかじめ用意し、切った断面が顔の形になるように各部位に配置した後、適当な太さに細長く伸ばし切断したもの。すべての工程は飴が熱く柔らかいうちに行われる。
題材は基本的には金太郎の顔だが、金太郎の顔でないキャラクターや文字などの場合もある。これも金太郎飴と呼ばれることがある。
但し、正式名称は「組み飴」と言う、名前の由来は、職人が大阪に修行に行った時、大阪では「おかめ」「福助」の絵柄だったが、関東では足柄山が近かった為に名付けられた
これから派生して、人や意見について、杓子定規で個性がなくどこを取っても同じようなことを「金太郎飴的」と表現することがある。英語では同趣旨の慣用句として「Cookie-cutter」(クッキーカッター。“どこから見ても同じ見え方”)がある。

★紙芝居(かみしばい) http://p.tl/1tSQ
絵を見せながら演じ手が語って進める芝居的パフォーマンスのことで、主に子供たちを対象にした簡易な芸能である。
明治時代以降存在した「立絵」の紙芝居と、世界恐慌時代に立絵が廃れた後で誕生した「平絵」の紙芝居とに大きく分けられる。
★紙芝居の系譜  http://p.tl/xWWH
現在見る形式の紙芝居は戦前と戦後に1回ずつのブームに沸いた後、内容が教育的でないなどの批判に遭って自主規制したため自由奔放な発想を失ったこともあり、お株をテレビに奪われて急速に衰退していった。
現在では、街頭紙芝居はほとんど廃れ、代わって一般市民が「手づくり紙芝居」を楽しんでいる。
・源流
 古来より、日本には「絵解き」と言って、絵を見せながら物語を語って聞かせる伝統があった。『源氏物語』にも、女房が姫君たちに絵巻を見せながら物語る場面が出てくる。寺では僧侶が曼荼羅や寺の縁起を「絵解き」で参拝者たちに語って聞かせた。
時代が下り、江戸時代から明治・大正にかけて、小さな穴から箱の中の絵を覗くのぞきからくり縁日の見世物小屋で楽しまれた。絵だけではすぐあきられるので、これに語り(のぞきからくり節)をつけたものが人気を博した。
また同じ時期に寄席や縁日で楽しまれた、写し絵、手影絵、影絵眼鏡もまた、「絵を見せながら語る」という点で、紙芝居の源流と言うことができる。この延長線上に無声映画があり、映画館では活弁士がスクリーンの前で熱弁を振るった。

★紙芝居とは (カミシバイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 http://p.tl/gWQc
★民話の部屋 立ち絵紙芝居〔明治末期〕 http://p.tl/ZirI
立ち絵のはじまりは、明治20年頃、落語家の円朝の弟子の新さんという人が絵が上手かったので、自分の得意としていた「西遊記」や「忠臣蔵」を絵に描かせて、駄菓子屋で1枚1銭で売らせ、当時の子供がその絵をくりぬいて竹の串に貼り付けて楽しそうに遊んでいるのにヒントを得て、新さんと興行師丸山善太郎という人が考え出したとされています。

★kamishibai 紙芝居ノート6 歴史  http://p.tl/qoSE
★昔の紙芝居 紙人形が舞台動き回る(2011年6月27日)http://p.tl/n94g
★紙芝居ストーリー-誕生から現代まで - デヂタル紙芝居ネット http://p.tl/uoIQ
★デヂタル紙芝居ネット(カミシバイ.net) : : 紙芝居年表   http://p.tl/S5Of
★みかん、紙芝居のルーツ立絵を探る! 2010年8月22日: 紙芝居語り手 http://p.tl/I7YH
★立ち絵紙芝居|かみけん!【茨城大学紙芝居研究会】 http://amba.to/XqscfF
★『紙芝居』の歴史|紙芝居屋「三橋とら」の日常ε=( ・_・) http://amba.to/XqsO4T