● カ ラ ク リ
★からくり(からくり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/y9uU
人形や道具を、ぜんまい、ばね、歯車、水銀、砂、水などを応用して自動的に操り動かす仕掛けをいう。絡繰、、機械、機関、機巧などの漢字をあてる。昔の自動的な機械、自動的な装置の総称である。動詞「からくる」(糸を縦横から引っ張って動かす、操るの意)が名詞化したもので、転じて、やりくり、たくらみ、計略、いんちき、詐欺などの意を示すことばとしても用いられる。ヨーロッパではオートマタautomata(automatonの複数形)という。
[ 執筆者:斎藤良輔 ]
★機巧図彙(からくりずい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代に発達したからくり人形玩具(がんぐ)の仕掛けを説明した書物。土佐(高知県)の人、細川半蔵頼直(よりなお)の著。1796年(寛政8)に刊行された。「からくり」とは糸をからくりして操り動かす意味で、糸を引いたり、ぜんまい、水銀、砂、水などの圧力を利用して、人形玩具を動かす仕掛けをいう。
本書は、からくりの内部の仕掛けを図説したもので、機械玩具の解説書としては江戸時代唯一のものといえる。内容は、首巻き時計、櫓(やぐら)時計、枕(まくら)時計、尺時計など時計の作り方、および手遊び物の製法、伝授上下の3部から成る。手遊び物には、ぜんまい仕掛けの茶運び人形、水銀を応用した五段返り、連理(れんり)返り、竜門の滝、鼓笛(こてき)児童、揺盃(ようはい)、闘鶏、魚釣り人形、品玉人形の9種が収録されている。これらに用いられているぜんまいにはクジラのひげが使われていることなどが詳述されている。 [ 執筆者:斎藤良輔 ]
★細川(ほそかわ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代後半から、武蔵(むさし)国小川(埼玉県比企(ひき)郡小川町)を中心として漉(す)き出された厚手の和紙。細川紙の略。江戸で帳簿用などに盛んに消費されたが、普通は縦32センチ、横45センチ内外の楮紙(こうぞがみ)で、裁断せずに耳つきのままで売られたことから「端切らず」ともよばれた。古くから小川付近は大河原紙(おおがわらがみ)という紙を漉いていたが、江戸時代に紀伊国(和歌山県)高野山麓(こうやさんろく)の細川村から高野紙(こうやがみ)の優れた技術を導入し、土地の産業として育成した。細川は江戸の庶民に親しまれ、当時の大坂の紙商間では、細川は川根(かね)(川根村で漉かれた紙の名。河根とも書く)とともに高野紙をさし、小川産の細川は小川とよばれていたが、やがて細川の名は小川産紙を代表するまでになった。現在小川町では「細川紙技術者協会」が結成されて伝統技術が守られているが、1978年(昭和53)に国の重要無形文化財に総合指定された。
[ 執筆者:町田誠之 ]
★ぜんまい(ぜんまい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
薄い帯状の金属を渦状に巻いたもの。発条(はつじょう)、渦巻ばね、スプリングともいう。巻き締めて弾性エネルギーを蓄え、ほどけようとする力を利用して動力とする。通常、時計、玩具(がんぐ)などを動かす動力として使用している小動力用の小さなばねをいう。材料としては、炭素を0.8~1.3%程度含む炭素鋼のみがき帯鋼が多く、高級な時計には特殊なコバルト合金なども使われている。 [ 執筆者:中山秀太郎 ]
★細川半蔵頼直 (Hanzo Yorihao Hosokawa)     http://p.tl/DCHb
通称からくり半蔵. 土佐藩長岡郡上末松出身 (高知県南国市) 南国市 地図 世界に誇る機械工学原書 『機巧図彙』の著者
★ロボット好きの日本人 第3回 江戸からくり師は総合科学者   http://p.tl/EgWa
★ARCHITECT連載記事リスト   http://p.tl/u_OM
★江戸からくり師は万能科学者      http://p.tl/LiUj
★第1部 からくりの匠に学ぶ       http://p.tl/CC5U
★ネットあいち産業情報 主な記事一覧(バックナンバー)http://p.tl/hzNf
★機巧図彙 - 大人の科学.net(Adobe PDF)http://p.tl/d15N
★からくり人形とその歴史 | 大江戸からくり人形   http://p.tl/Di-8
★「機巧図彙」を書いた細川半蔵頼直とは?   http://p.tl/AgUe
★からくり歴史年表 1800年代      http://p.tl/PwMH
★半蔵の精神を21世紀へ        http://p.tl/XPiS
★からくりの文献・資料         http://p.tl/Ra-O
★機巧図彙 [きこう-ずい]        http://p.tl/qsak
★江戸時代の「機巧」復元と継続技術教育用教材としての意義  http://p.tl/6WwA
★日本のからくり・世界のカラクリ    http://p.tl/Pz9K
★からくり人形師   http://p.tl/RAs7
★からくり(Adobe PDF)http://p.tl/cfQl
★和時計の文献 古文書   http://p.tl/Z24O
★からくりや - 江戸からくり人形 仕掛けと技法   http://p.tl/7gKQ
★のぞきからくり(のぞきからくり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
大道の演芸の一種。幅三尺余(ほぼ1メートル)の屋台の前面に五つ六つの、レンズがはめられたのぞき穴をあける。この穴からのぞくと箱の中の絵が拡大されて見え、その絵を一枚ごとに紐(ひも)で上へ引き上げて一編の物語を見せるという仕掛けである。屋台の左右に男女が立ち、鞭(むち)を持って屋台をたたきながら「からくり節」という七五調の古風な口調の物語を語りつつ筋を展開した。もとは中国におこって寛永(かんえい)(1624~44)ごろに長崎に渡来したというがさだかではない。江戸中期には縁日祭礼の見せ物となっていたようである。最初は絵だけを見せる簡単なものであったが、のちに流行の歌祭文(うたざいもん)と結び付き口説(くどき)節を取り入れて、『お七吉三(きちさ)』『お半長右衛門(ちょうえもん)』『お染久松』といった歌舞伎種(かぶきだね)や、明治末には新派の『不如婦(ほととぎす)』『己(おの)が罪(つみ)』などから『肉弾三勇士』などの時局物まで幅の広い演目を有していた。「地獄極楽」に代表される辻(つじ)説教の歴史も一方にもちつつ、第二次世界大戦後にまでその伝統が細々と伝えられていたが、今日ではほとんどみることができない。
[ 執筆者:織田紘二 ]
★田中久重(たなかひさしげ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
(1799―1881)
幕末から明治初期の技術者。久留米(くるめ)のべっこう細工職人の長男に生まれた。細工や発明の才に優れ、巧妙な「からくり」人形を製作したりしたことから「からくり儀右衛門(ぎえもん)」ともよばれた。1813年(文化10)井上伝(いのうえでん)に協力して絵絣(えがすり)を発明、1817年父の死後、家業を弟に譲り、1824年(文政7)肥前国(佐賀県)、肥後国(熊本県)、大坂、京都に技術修業し、1834年(天保5)大坂に居を構え、懐中燭台(かいちゅうしょくだい)や無尽灯(むじんとう)を発明、製造販売するかたわら、なおその技量を磨いた。1837年大塩平八郎の乱で家財を焼失、京都伏見(ふしみ)に転居した。ここで幕府天文方間重富(はざましげとみ)がかつて精密器械をつくらせていた金工戸田東三郎忠行と親交を結び、その紹介で器械製造販売を続けながら天文暦学の土御門(つちみかど)家で天文暦学を学んだ。1849年(嘉永2)近江大掾(おうみのだいじょう)の号を大覚寺より授けられ、これを利用して1852年京都四条烏丸(からすま)に「機巧堂(からくりどう)」という店を出した。この間、須弥山儀(しゅみせんぎ)を製作(1847)、また蘭学者(らんがくしゃ)広瀬元恭(ひろせげんきょう)と親交を結びヨーロッパの知識や技術を学び、1851年万年時計(自鳴鐘)を製作、これはヨーロッパの懐中時計を利用して精度を高め、洋式・日本式時刻、七曜、二十四節気、月の満ち欠け、干支(えと)をも表示する和時計の傑作である。このほか多数の高級和時計をつくり、1853年には佐賀藩精錬方に招かれ、日本最初の機関車模型を製作、1864年(元治1)久留米藩に招かれ、1866年(慶応2)同藩の今井栄(1822―1869)に従って軍艦買付けのため上海(シャンハイ)に渡った。1875年(明治8)東京の銀座に店を構え、田中製造所を開業、日本最初の民間機械工場となった。政府の指定工場として電信器の修理・製作にあたり、これが芝浦製作所となり今日の東芝へと連なる。日本の精密機械、工作技術の草創期に多くの技術者も育てた。なお、弟子の金子大吉(1864―1905)が養子となって田中姓を継ぎ、養父没後、2代目久重を襲名した。 [ 執筆者:井原 聰 ]


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